真珠湾攻撃 最後通告に相違 日米保管の文書、25カ所

http://www.sankei.co.jp/news/050207/sha037.htm

≪対米開戦の通告遅れ≫昭和16年12月8日(米国東部時間7日)、日本の最後通告が真珠湾攻撃より約50分遅れ、米国から「だまし討ち」と非難された。開戦約30分前に在米日本大使が米国務長官に最後通告を手渡す予定だったが、在米日本大使館でのタイプ清書が間に合わなかった。その原因と責任の所在について、現在も議論が続いている。

映画「トラトラトラ」で、在米大使館の係官が、下手なタイプをのろのろと打っているシーンが思い出されますが、在米大使館の裁量で、表現の変更ができていたのであれば、途中を適当に飛ばすとか、とりあえず要約を作るなどして、攻撃前に最後通告をしておくべきだった、と強く思います。