新司法試験 改革の理念に合わせて?

http://www.tokyo-np.co.jp/sha/

小倉先生も、

http://benli.cocolog-nifty.com/benli/2004/12/post_12.html

と、かなり強く批判されています。社説の内容の大部分は、どこかで聞いたような話の焼き直しで、新鮮味も説得力も感じませんでしたが、

数の問題は合格者に最高裁主導で実務教育をする司法研修所の収容能力にも関係している。教育権を完全には失いたくない最高裁の思惑、研修所で裁判官や検事と「同じ釜の飯を食った」経験への弁護士の郷愁などから生き残った形の研修所だが、法科大学院の実務教育を充実すれば不要だ。廃止を目指すべきである。

には唖然としました。
最高裁の思惑は推測するしかありませんが、かつて司法研修所に在籍した立場から言うと、最高裁に、「教育権」を行使する、という意識はないし、そもそも、無理でしょう。民事裁判、刑事裁判については、教官が裁判官出身者ですが、検察については検察官出身者、民事弁護、刑事弁護については弁護士が、教官を務めますから、裁判科目以外については、教育権(というものがあるかどうか知りませんが)を行使することなど、不可能でしょう。最高裁にしてみれば、司法研修所は手間暇がかかるし、司法修習生がいろいろと不祥事も起こすし、2回試験では大量の合格留保者が出るし、と、はっきり言って「お荷物」視している可能性のほうが高いと思います。でも、司法研修所の機能は重要、ということで、維持しているのではないかと私は思います。
「弁護士の郷愁」とありますが、そういった郷愁を言うのであれば、裁判官や検察官にも郷愁はありますから、弁護士に限らないでしょう。事実、私も、検察官時代、司法研修所当時のことは懐かしく思っていましたし、検察官当時から、同じクラスで学んだ人達(裁判官もいれば弁護士もいます)とは交流しており、今も続いています。
しかし、そういった郷愁というものは、司法研修所という大きな制度を存続させる上では取るに足りないものであり、そんなことでこの制度が存続しているとすること自体が、とんだお門違いだと思います。
私が繰り返し述べているように、司法研修所の大きなメリットは、実務法曹を養成する上での優れた教育機能にあります。
そのあたりの事情は、既にこのブログでも述べたことがありますから繰り返しませんが、戦後50年余り(戦前から司法研究所という、同種の組織はあったとのことなので、それも含めればそれ以上の年数)にわたり、法曹養成を行ってきており、資料、ノウハウ等々、その蓄積には相当なものがあります。司法研修所で使用しているテキスト類の中には、一部、市販されているものもありますが、それらを見ても、司法研修所教育の優秀さがわかるはずです。
それを、上記の社説では、「法科大学院の実務教育を充実すれば不要だ。」と片づけていますが、本当に、司法研修所に代替するだけの「法科大学院の実務教育の充実」が可能なのか、非常に大きな疑問を感じるのは私だけではないでしょう。
法科大学院生に、司法試験に合格するだけの学力をつけてもらうことにすら四苦八苦しているのが現状なのに、しかも、現行では、司法試験合格後、1年6か月にわたり行われ新制度でも1年行われる予定になっている司法研修所における司法修習をどう変えるかにも何ら触れることなく、司法研修所について、「法科大学院の実務教育を充実すれば不要だ。」と簡単に断言できる神経が全く理解できません。
そんなに簡単に司法研修所を廃止して、世の中に大量の質の悪い法曹が横行するようになった時に、東京新聞は、そのような事態について責任を取ることができるのでしょうか?