私が司法研修所に入ったのは昭和62年で、当時は2年間の修習であったため、平成元年春に修習を終えました。
現在、裁判所、検察庁、弁護士会(法律事務所)によるリクルート活動が活発に行われている状況が、いろいろなブログ等を見ているとうかがわれますが、当時は、検察庁によるリクルート活動は、見るも無惨な状態でした。とにかく、検事任官希望者が少なくて、検察教官や実務修習地の検察庁関係者の苦労には多大なものがありました。
私の場合、大学4年時に司法試験に合格し、刑事法や刑事政策に強い興味があったため、司法研修所入所前から、欲得、損得抜きで検察官志望を表明していましたが、いろいろな人から、「せっかく早く司法試験に合格したのに、よりによって検事なんかになることはないだろう。」とか、「裁判官とか渉外弁護士が良いのではないか。検事になっても何も良いことはない。」などといったことを、耳にタコができるくらい聞かされました。今もそうですが、当時から損得勘定が下手だった私は、まだ22歳から23歳くらいで、社会経験もなく未熟だったこともあって、そういう話を聞けば聞くほど、意固地(?)になり、反発も覚えて、結局、一度も志望を変えることなく、検事に任官してしまいました。
今、振り返って考えてみると、裁判官になって一生懸命勉強していれば、今よりももっと理論に精通した良質な法律家になれたかもしれない、とか、最初から弁護士になって着実に実績を積んでいれば、こういったブログを細々書いているようなしがない弁護士ではなく、お金持ちの依頼者に囲まれ多くのイソ弁や美人秘書を従えた大弁護士にでもなれたかもしれない、などと、そういう妄想が一瞬、頭に浮かぶこともありますが、自分自身の強い興味は、やはり刑事法やその周辺にある上、検察庁で学んだことが自らの血肉になっていることが実感できるので、進路選択を誤った、といった気持ちは持っていません。
上記のように、私にアドバイスしていた人々も、決して悪気があったわけではありませんが、自分の将来すら見通せない人間という存在が、他人の将来まで見通せるはずもなく、結局のところ、自分の進路は自分でよく考え、自分でリスクを取って決めて行くしかない、というのが実際のところです。
甘い話には注意して、物事をシビアな目で見た上で、自らの責任において進路を決める必要性があるでしょう。