winny公判について(補足4)

海外出張中で、今ひとつ、インターネット環境が良くなくて、書きたいことが、なかなか書けないのですが、いただいたコメント関連で、更に若干補足します。

ぴろこ 『47氏が、在宅調べで自白調書に署名押印したとして、これは刑事さんに強引に調書をとられたので、強制による自白で任意性がない(憲法?)と争うことはできないでしょうか。』
tedie 『自白したかどうかは別にして、強引に調書を取られたのでしょうか。強引さがあったなら、どの程度の強度だったのでしょうか。
勾留中の自白調書の任意性が否定されたものは、かなりえげつないことを捜査官がやっている場合だと思います。素人の目で見ても、逮捕後の勾留中の供述と在宅での任意捜査での供述となら、後者のほうが信用できる気がします。
ーー裁判員制度が実施されると、こういった判断も裁判員がするのでしょうね。』

「任意性」に疑いが生じるというのは、わかりやすく言うと、供述の自由が奪われたのではないかという疑いが生じるということであり、過去の判例等に照らしても、取調官によって、相当強度の働きかけ(肉体的、精神的に)が行われることが想定されていると思います。身柄を拘束されていない状態で取り調べを受けていたということになると、そのことだけによっても、任意性が肯定されるほうに捉えられやすいでしょう(もちろん、在宅の取り調べでも任意性に疑いが生じることはあり得ます、例えば利益誘導など)。
K被告人について、仮に、身柄不拘束の状態下で作成された「自白」調書がある場合、任意性に疑いがあるとして証拠能力(証拠としての許容性、要するに公判へ証拠として提出できること)まで否定されるということは、考えにくいでしょう。
ただ、証拠能力の問題と、証明力(信用性)の問題は別です。証拠能力が認められ証拠として採用されても、信用性が否定されるということはあり得ますし、上記の自白調書に、様々な問題があり信用性が否定されるということは、あり得ることだと思います。そこは、今後の検察官と弁護人の立証次第でしょう。一般的には、身柄拘束下に作成された供述調書よりも、身柄不拘束下で作成された供述調書のほうが、信用性も肯定されやすいと思います(供述者としても、後者のほうが、それなりに余裕をもって供述でき、供述調書の内容も確認しやすいでしょう)。
 裁判員制度については、今後、このブログでも取り上げたいと考えていますが、ここでは、上記のような証拠能力や証明力についての判断を、従来、裁判所が行っていたレベルと同等のものとして裁判員が行うのは、至難の業であるということを指摘しておきたいと思います(だから裁判員制度が駄目だと言っているわけではありません)。