winny公判について(補足5)

更に補足を。

tedie 『北国銀行の事件をみると、共同意思主体説もよいかなぁ、と思ってしまいます。共同意思主体の成立がない以上、広義の共犯はありえないわけです。Winny事件も、共同意思主体が認められないとして共犯関係を否定できます。裏返すと、北国銀行の事件も、中立的行為の問題の一つで、共謀関係の成立を否定することで共犯の成立を否定したともとることができるわけです。』


 winnyの事件を契機に、中立的行為に関する論文を読む中で、ご指摘のような共同意思主体説の利点を知り、非常に勉強になりました。この学説のそもそもの主唱者は、実務家(裁判官)でもあった草野豹一郎氏と記憶していますが、優れた実務感覚に裏打ちされた考え方だったのかもしれない、と思い、早稲田出身でありながら、共同意思主体説について、不勉強のまま否定的に捉えていた自分を反省したような次第です。
 ただ、だからといって、今更、共同意思主体説に立って、というわけにも行かないので、これまでの判例理論の枠組みを前提としつつ、考える必要があります。そこが難しいところです。
 
http://www.yuhikaku.co.jp/shosai/20c50/25.html

tedie 『従来の法の枠組みあるいは法条からいえば、本件行為が(客観的に)幇助に該当することは明らかですから、弁護人が積極的に主張しないと、この点の判断をせずに幇助の成立を認められてしまう(故意があるとして)のではないでしょうか。』
tedie 『ここでの問題とはちがうのですが、現行法においてWinnyの頒布行為が客観的に幇助の構成要件に該当しうることは否定できないのであり、技術者のなかには法の規定がないところを処罰しているという人もいますが、これは不適切です。むしろ現行法で幇助に該当することが不当なので、限定解釈をして、幇助の成立を否定することを裁判所に認めさせることができるかできないかが重要に思います。』

 弁護人の冒頭陳述などで、理解はできつつも、やや違和感を感じたのは、「罪刑法定主義に反する」という部分でした。検察官は、およそ想定し得ない罰条を持ち出して被告人を処罰しようとしている、と言うよりも、従来の(本件のようなケースに関する問題意識が希薄であったとは言えると思いますが)刑事司法実務の中では、一応、被告人の行為が該当しうるところで起訴してきているのであり、それが不当であり無罪であると言うためには、従来の枠組みを変えるだけの、少なくとも例外を作るだけの、理論構成を考える必要があると思います。そういった問題意識を持たないまま、表面的なレベルで、起訴の不当性などを声高に主張しているだけで終わるのであれば、法廷外の共感や支持は得られても、無罪判決は獲得できないでしょう。