winny開発者の刑事責任について(その1 その2)

(以前、このブログに掲載しましたが、「その3」以降の便宜上、改めて掲載させていただきます)

winny開発者の刑事責任について(その1)

先日、東京電機大学で行われたワークショップでも

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040628-00000011-zdn_n-sci

といった話をしたが、この点について、現時点で考えていることを、少しまとめてみたい。

先日、winny弁護団の中の、何人かの先生方らと、検討会を行い、その準備のため、資料を読んだり考えたりもしたので、多少、ポイントがつかめつつある。

まず、ワークショップでも指摘したように、従来の、一般的な幇助犯の成立要件は、かなり緩やかである。正犯が存在していること、正犯の犯行を容易にしていること、自己の行為が正犯の犯行を容易にしていることを認識、認容していること(故意)、である。容易にするにあたっての手段、方法に限定はないし、故意についても、確定的なものである必要はなく、「もしかしたら容易にするかもしれないが、それでも構わない」といった程度のもの(未必の故意)でもよいとされる。正犯が存在することは不可欠であるが(これを「従属性」と言う)、既に指摘したように、通説的な見解は、「片面的幇助」を肯定するので、幇助犯と正犯が相互に面識がある必要もない。

幇助犯の刑は、正犯の刑を減軽したものであり、軽い分、緩やかな要件の中で、正犯を通じた法益侵害を行わないように抑制が求められている、とも言うことができる。

従来、実務上、幇助犯として立件、起訴される事例は、犯罪性や可罰性に異論のないものが通例であったと思う。今回のような、いろいろな意味で成功したソフトの開発者が、利用者の行為に関する幇助犯として起訴され、ここまで議論を巻き起こすような事態は、未曾有のことと言っても過言ではない。

(続く)

winny開発者の刑事責任について(その2)

一般的に、幇助犯の成立要件が緩やかであることについては、(その1)で指摘したとおりである。

しかしながら、社会内においては、様々な物が、数多くの人によって利用されており、利用の方法によっては悪用も可能な物も少なくない。悪用の可能性があるからといって、そういった物の開発、提供が差し控えられるようなことがあれば、社会生活は不可能になってしまいかねない。

こういった問題については、ドイツでは、古くから、「中立的行為による幇助」の可罰性、といった形で議論されてきたようであるが、日本においては、それほど論文も多くなく、また、今回のwinnyの問題が勃発するまでは、マイナーな論点という捉え方をされてきた面もあるようで(確かに、殺人犯に包丁を売った金物屋の刑事責任、といった取り上げられ方では、議論に熱意も入りにくい)、議論は正にこれからといったところである。

それはともかく、この問題について、まず、考えられるのは、「故意」について、高いレベルのものを要求し、例えば、上記のような中立的行為による幇助については、未必の故意程度では不十分であり「確定的故意」(法益侵害について確定的なものとして認識、認容する心理状態)を要求するという考え方である。私が読んだ論文によると、ドイツでも、このような考え方に立つ学説があるということであり、この種の行為について、可罰性を限定する上で、一つの魅力的な見解と言うことはできよう。

この考え方を、winny開発者にあてはめて考えると、利用者が著作権侵害等の違法行為に及ぶことを確定的に認識、認容しつつ開発、提供行為に及ばない限り、無罪ということになる。

ただ、この考え方については、①なぜ、一般的な幇助犯の成立要件の中の故意について、この種の行為の場合に確定的故意まで要求するかの理論的説明に難しい面がある②犯罪の成否を、行為者の故意という主観的要件により決するのは、犯罪の成否に関する判断を不安定にし、人権保障上問題、といった点を指摘できる。

(続く)