winny開発者の刑事責任について(その3)

「その2」で、私は、この種の行為者を処罰する上で、「確定的故意」が必要であるという考え方を紹介したが、現行の我が国の刑事司法の枠組み、従来の裁判例との対比等の中では、この考え方が、当面、適当なのではないかと考えている。「その2」では、

ただ、この考え方については、①なぜ、一般的な幇助犯の成立要件の中の故意について、この種の行為の場合に確定的故意まで要求するかの理論的説明に難しい面がある②犯罪の成否を、行為者の故意という主観的要件により決するのは、犯罪の成否に関する判断を不安定にし、人権保障上問題、といった点を指摘できる。

と主張したが、それらの点は、以下の通り、クリアできるものであると考えている。
まず、上記の②であるが、確かに、主観的要件ではなく客観的要件により、犯罪の成否が決せられたほうが望ましい。しかし、「中立的行為による幇助」といった理論(この点についても、その4以降で検討したいと考えているが)は、日本では、まだ成熟しておらず、刑事裁判において利用できる程度までに達しているとは評価しがたい。
その一方で、犯罪の「故意」に関しては、刑法上も、故意犯が処罰されるのが原則であるとの定めがあるし、故意に関する議論も、学説及び実務上、相当程度研究・検討されてきており、何が処罰されるべき故意で何が処罰されるべきでない故意か、という理屈は、刑事裁判にも馴染みやすいという側面があると思われる。
したがって、この問題について「処罰されるべき故意」と、その逆に「処罰されるべきでない故意」というものを明確にして、処罰範囲を画することは有意義であり、現時点では、そういった方向こそが守られるべき人権の保障につながると言うべきであろう。
次に、①であるが、近い将来、出版予定の、プロバイダ責任に関する書籍の中で、私は、プロバイダ刑事責任について、次のように書いている。

最後に問題となるのは、プロバイダがいかなる場合に刑事責任を負うかである。
作為犯の形式で規定された犯罪構成要件を不作為により実現する場合(不真正不作為犯)である以上、行為者に保障人的地位が肯定され、そのような地位に基づいて作為義務が発生していることと共に、当該不作為に作為との等価値性、すなわち、当該不作為を作為と同視できるだけの実態があるかどうかが問題とされなければならない。
このうち、保障人的地位については、プロバイダが違法情報の存在を認識したという状況下においては、保障人的地位の発生根拠をどこに求めるとしても、そのような違法情報を遮断する現実的な可能性は全面的にプロバイダに依存していると言わざるを得ない以上、プロバイダに保障人的地位を肯定せざるを得ないであろう。
しかしながら、このような状況下において、プロバイダが違法情報を遮断する措置を講じないという事態が生じても、プロバイダが、電気通信事業法による制約を受けつつ、利用規約ガイドライン上も守られている利用者の利用権を尊重し、また、表現の自由憲法上占める優越的地位や保護の必要性に思いを致し、種々の検討を加える中で、違法情報であるとの「断定」ができない場合(言い換えれば違法情報であるとの「確信」が持てない場合)、当該情報を遮断しないという不作為は、到底、そのような情報を発信するという作為と等価値とは言えないし、当該不作為を作為と同視できるだけの実態があるとは到底評価することができないと考える。

そして、上記のような高度の認識を要求することについて、

このような考え方に対しては、プロバイダの刑事責任の特殊性を過度に重視しすぎているのではないか、他の不真正不作為犯における犯罪成立要件との整合性に欠けるのではないか、といった批判が考えられる。
 しかしながら、既に述べたようなプロバイダの置かれた極めて特殊な立場に照らすと、不真正不作為犯の成立について、そのような特殊性を十分考慮した上で要件を定立することは必要不可欠であり、避けては通れないことであると考えられる。また、個々の犯罪の罪質等によって主観的要件について限定を加えることは往々にして見られるところであり(例えば、刑法第172条の虚偽告訴等罪における申告事実の虚偽性については、正当な告訴等の申告を抑止するという事態を避けるため、未必的な認識では足りず確定的な認識を要するとするのが有力説である)、上記のような批判は当たらない。

とも書いている。
プロバイダ刑事責任と、winny開発者の刑事責任は、同一ではないものの、いずれも、「他人の行為に関して自らも刑事責任を問われようとする」という点では、類似の問題状況にある。
winny開発者については、社会的に有用なソフトを提供することが同時に悪用の恐れを伴うものを提供することでもあるという、二律背反的な立場に置かれていると言える。「悪用されるかもしれない」といった程度の故意で処罰するようなことになれば、「では、提供するのはやめよう」といった自制につながり大きな社会的損失が生じかねないし、その程度の故意しかないものを幇助犯に問うのであれば、幇助犯の範囲が無限定に広がることになり極めて不当な事態となる。
そのような立場の者について、「処罰されるべき故意」をどこに見出すかと言えば、やはり、「提供したものが確定的に著作権侵害などの違法行為に使用される」という確定的故意を持つ場合に限定されるべきであろう。そして、そのような解釈を支えるものとして、上記のような、虚偽告訴等罪において「虚偽性」に確定的認識を要求する有力説を援用することができる。

(続く)