ブックオフ:前会長のセクハラも認定 最終報告

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070725k0000m020097000c.html

前会長は事実を認め、「大家族主義的な考えが消えず、セクハラだとは考えていなかった。脇が甘かった」と釈明しているという。

「大家族主義」とセクハラがどのように結びつくのかよくわかりませんが、こういった問題について、「脇が甘い」という、軽い位置づけをする姿勢自体に問題を感じます。
フックオフは、過去に何度か利用したことがありますが、以前、まとめて本を売ろうかと思い、都内のある店舗に電話して方法等を聞いてみたところ、電話に出てきた店員の女の態度がものすごく悪く、怒るを通り越してあきれたことがあります。「本をお売り下さい」などと大々的に宣伝していながら、まとめて買うのが面倒だ、まとめて売りに来るな、ということがありありとわかる、露骨な口調で邪険に取り扱われ、それ以来、ブックオフを利用したことはありません。
上記のような不祥事が明るみに出るまでは、明るく、右肩上がりの有望な企業というバラ色のイメージを振りまいていましたが、かなりのイメージダウンを招いてしまったことは明らかでしょう。上記のような嫌な思い出もあり、今後も、よほどのことがない限り、利用したいという気にはなりません。

MDMA?実は抗うつ剤 警視庁が男性誤認逮捕

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070724-00000924-san-soci

同署員による試薬による検査では、MDMAの際とよく似た色の薬物反応を示したことから、錠剤をMDMAを判定。男性を現行犯逮捕した。ところが、警視庁科学捜査研究所で鑑定した結果、錠剤は抗うつ剤だったことが判明。男性を同日午後3時45分ごろに釈放した。
試薬を使って検査をした捜査員は、MDMAの鑑定をしたことがなく、試薬の色の変化を正しく理解していなかったという。

試薬の使用方法に習熟しておく必要性や、よくわからない場合は無理せず身柄を拘束しない、という決断をすべき場合もあることを感じさせる出来事ではないかと思います。
団塊世代の警察官が大量退職し、今後、実務に習熟していない若手警察官が増えるという状況の中で、この種の過誤を防止する方策を十分講じておく必要性は高いと思います。

高市氏陳謝…夫の失言でとんだ“妻”難

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070725-00000078-sph-soci

高市早苗特命担当相が24日、夫で山本拓農水副大臣が故・松岡利勝前農相の多額の事務所費に関し「芸者の花代として使ったと聞いた」と発言したことについて「ご遺族に不愉快な思いをさせるものであり、本人も撤回、謝罪しているが、大変申し訳ない」と陳謝した。

夫の問題発言を妻が改めて謝罪するという異例の事態。背景には相次ぐ閣僚の失言や不手際が選挙戦に致命傷を与えかねない状況がある。久間前防相による「原爆投下はしょうがない」発言、麻生太郎外相による「アルツハイマーの人でもわかる」発言。さらには赤城農相の「事務所費問題」&謎の「顔面ガーゼ」。自民党の選対関係者も「これじゃ参院選は戦えないよ」と嘆く。

来る参議院議員選挙では、与党劣勢、野党優勢が予想されている状況にありますが、与党過半数割れ、といった事態になった場合、上記のような数々の「失言」が影響を及ぼした選挙、として長く記憶に残るものになる可能性があるでしょう。
政治家は、言葉で生き、言葉で人を動かす仕事ですから、失言を恐れびくびくしながら話す必要はないものの、言葉というものを大切にしてほしい、という気がします。

「グーグル革命の衝撃」

NHKスペシャル グーグル革命の衝撃

NHKスペシャル グーグル革命の衝撃

今年5月の発売直後に購入し、少しずつ読んでいましたが、やっと読み終えることができました。単なる読み物ではなく、いろいろな問題点が指摘されていて、重いものがあり、なかなか読み進めなかった、という面がありました。
私自身が、今後、深刻な問題になりそうだと感じたのは、グーグルが提供するようなサービスがますます普及することにより、単に、プライバシー侵害、あるいはその危険性が生じるだけでなく、本書で、

現代はある特定の政府がすべての個人を監視するのではなく、マーケティングの目的と政府のテロや犯罪などに対する警戒とが合わさって、お互いがお互いをネットワークを通じて監視し合い、相手の行動を予測し合うという新しい社会秩序が登場しはじめている
(210ページ)

といった指摘がされている点でした。
従来は、表現の自由が保障され情報が自由に流通する社会であれば、淘汰されるべきものは淘汰され、正しいものが残り、正義が実現されるはずである、という前提が存在していた面がありますが、インターネットが隅々まで普及し、人々がインターネットを通じて情報に接するのが通例となった社会において、「検索」等がもしも恣意的にコントロールされるようなことがあれば、コントロールできるごく少数の人や組織が、望む「社会秩序」を形成することができる、といったことにもなりかねません。その意味で、便利さとは裏腹に、我々は、非常に危うい状況に身を置いてしまっている、と言っても過言ではないと思います。
読み進めている間も、読了した後も、では、どうすれば良いか、何ができるか、という、わきあがってくる問い、疑問に、明確に答えることができず、重苦しさを打ち消すことができないままでいます。この問題は、今後も頭の片隅に常にあって、繰り返し考えて行くことになると思います。