「外務省革新派」

 

 

戦前、戦中の昭和史に関する本を読んでいると、官僚の中に革新派という一群の人々がいて様々に活動していて、一度、そこにスポットライトを当てた本を読みたいと思っていたので、これを読んでみました。

紙幅が大きく割かれている外交官の白鳥敏夫は、前に読んだ

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でも取り上げられていた昭和天皇のお言葉

A級が合祀されその上 松岡、白取までもが

で、畏れ多くも不快感の対象となっていたことで脚光を浴びていたことが思い出されます。

読んで感じたのは、外務省で革新派と呼ばれ括られていた人々の中には、白鳥敏夫のような、ワシントン体制からの脱却、独伊と連携しつつアジアにおける日本を中心とした新体制(大東亜共栄圏)建設を積極的に目論んでいた人々もいれば、付和雷同したり単なる傍観者であった人々もいて、濃淡があるものの、軍部と連携する動きを続けていたことから、実態よりも大きく見えていた側面があったということでした。

本書の中では、活発に言論活動を展開していた白鳥敏夫の言説がいろいろと引用、紹介されていましたが、独ソ不可侵条約締結前には、ドイツと連携して反ソで動くことを提唱し、同条約締結後には一転してソ連との連携を提唱し、独ソ開戦となると、一転、反ソを喧伝と、単にドイツに引きずられているだけの場当たり的、思いつき的な言動が顕著で、昭和天皇が「白取までもが」と不快感を示されたことが改めてよく理解できました。

思えば、外務省革新派のような人々は常にいて、国を、社会を混乱させ引っ掻き回して誤った方向へと進めさせる上での太鼓持ち幇間のような役割を果たしているものでしょう。そういうものの誤った、間違った本質を見抜いて寄せ付けない、排除する機能を、健全な国家社会というものは常に持っておく必要があると強く感じました。