東京五輪にみる翻訳記事の危うさ

東京五輪にみる翻訳記事の危うさ(鴻巣友季子) - 個人 - Yahoo!ニュース

わたしは正直、IOCとバッハ氏のやり方にはいろいろ疑問を抱いているし、現状での五輪開催には強い懸念をもっているが、それと翻訳者の務めは別のところにある。今回の「感謝しろ」発言の件が意図的なものとは思えないが、以下の点について改めて注意を喚起しているだろう。

  • 道義上の問題。良からぬ人物だからといって、発言を改竄したり盛ったりしてはいけない。
  • 翻訳倫理の問題。意図的に「誤訳」することは翻訳倫理に反する。
  • 英語学習面での弊害。誤った語法や用法を広めてしまう。

 翻訳文を読む人たちの大半はその外国語ができないか得意ではない。見えない部分の作業だからこそ、翻訳者には正確性のみならず中立性が求められるのだ。

 この記事を読んで、本当にそうだなとしみじみ思いましたし、翻訳というのは、特には国の運命も左右しかねない重要さ、危うさを持っていると改めて感じます。

今、車で移動しながら、

 をAmazonオーディブルで聴いているのですが、ポツダム宣言に対して鈴木首相が「黙殺」と言ったのが「拒否」と訳されて原爆投下やソ連参戦へとつながったり、天皇の地位に関する連合国の回答に、連合国最高司令官に隷属(従属)すると訳すところを外務省が「制限の下に置かれる」と意訳して、国体に変更はないと、反発する陸軍を説き伏せようとしたことなどが次々と出てきて、翻訳の持つ難しさ、危うさを感じていたところでした。

バッハ会長のように、日本で反感を持たれている人物の発言だけに、その翻訳には注意し慎重に見ていく必要があるでしょう。