宿命 警察庁長官狙撃事件 捜査第一課元刑事の23年

宿命 警察庁長官狙撃事件 捜査第一課元刑事の23年

宿命 警察庁長官狙撃事件 捜査第一課元刑事の23年

警察庁長官狙撃事件について、オウム真理教による犯行と見ていた警視庁公安部と、その後の情報により別の人物を追っていた警視庁刑事部の対立は、複数の本や雑誌記事で紹介されていたところですが、本書は、刑事部捜査1課管理官、理事官として捜査に関わっていた著者によるもので、遂に決定版が登場したという印象を持ちつつ一気に読みました。検事の目でも紹介されている証拠関係を見ましたが、刑事部が真犯人と見た人物については、公判で十分に立証できるだけの証拠はあり、この人物が真犯人と見て良いだろうと、私も感じました。
私自身、平成7年4月に、長官狙撃事件直後の東京地検公安部所属となり、初動当時のことはいろいろと見たり聞いたりしましたし、当時の公安部(警視庁、東京地検)の捜査では常に長官狙撃事件のことが念頭に置かれていて、私自身も関連すると思われる事件の捜査に従事したり、長官狙撃事件を念頭に置いた供述調書作成を指示されて行ったこともありました。そういう経験も踏まえて、改めて振り返ると、発生当時の状況で、オウム真理教による組織的な犯行と見たのはやむを得なかったとしても、その後にそういう捜査方針に固執し続け、特に、刑事部が追っていた人物が出現した後も従来の捜査方針にこだわり続けた公安部系の人々は、その誤りを率直に認めざるを得ないのではないかと思います。そういう、固執、こだわりを厳しく批判する著者の指摘には素朴、率直に共感を覚えました。
日本の警察組織は、非常にクローズドな体質を持ち、中でも警備・公安部門はその傾向が顕著です。そこには、政治の介入をブロックする(完全にブロックできているかは何とも言えませんが)メリットがある一方、大きな誤りを犯した場合、クローズド故に軌道修正が難しいというデメリットも併せ持っているように思います。警察という性質上、あらゆることをオープンにはできないとしても、仲間内だけで物事を決めてしまうのではなく、客観性、中立性を持つ部署による助言、指導も受ける体制を作っておかないと、今後も長官狙撃事件の捜査のようなことが起きてしまう、その土壌が残ってしまうと危惧されるものがありました。警察が愚かだった、で終わるのではなく、今後へ向けた教訓を引き出す切っ掛けに、この事件が、また本書が役立つことを願ってやみません。