前回
まで書いたが、建造物侵入事件でオウム真理教信者らが車から車へ積み替えようとしていたのは、銃の部品であり、それだけに、警察庁長官銃撃事件を捜査していた警視庁公安部は注目したものであった。
しかし、その後の捜査で、これは、その年(1995年)正月に、読売新聞に、上九一色村でサリン残留物が検出というスクープ記事が出て、オウム真理教内部で様々な工作を中止、隠蔽する動きが出て、その際に、ロシアの自動小銃AK 74を模した自動小銃1000丁密造計画も中途で中止されて、製造していた部品類を隠匿する動きの中で発生したものであることがわかってきた。
それで、自動小銃密造事件(武器等製造法違反事件)は、警視庁公安部から、銃器対策を取り扱う生活安全部へ担当が変わり、同年7月から8月にかけて、関係したオウム真理教信者を一斉逮捕、勾留して(記憶では20名から30名くらいの間くらいの逮捕者であった)、起訴して捜査は終結した。
(続く)