昭和20年代のユニホームも 「戦後の復興と広島東洋カープの歩み」展

http://www.sankei.com/region/news/150801/rgn1508010069-n1.html

展示されているのはユニホームなどのほか、記念ボールや関連資料など。また、旧広島市民球場広島平和記念都市建設法に基づく建設計画によって市中央公園の一部として整備されたことから、同法のことなどについてもパネルで説明している。

すぐに広島に帰る予定がないので、見に行けないのが残念ですが、行ける人は見ておくと良いと思います。なかなか見られない貴重な資料でしょう。
昭和20年代の広島の人が偉いと思うのは、まだ終戦後間がなく、自分自身が苦しい生活を送る中で、財政難にあえぐ広島カープに、なけなしのお金を募金(樽募金、といって、大きな樽に募金がされていた)して支えていたことです。原爆で壊滅し、そこから徐々に復興する広島の街で、人々が広島カープに期待していたものや見ていた夢を思うと、切ない希望のようなものを感じます。
広島市民球場は、今はもうありませんが、単に球場というだけでなく、「市民」という名前に現わされているように、広島の人々の集う場所という、独特の存在感があったように思います。私も、小さい頃、親に連れられ広島カープの試合を観に広島市民球場へ近づいていく時の何とも言えない高揚感を思い出しますし、高校当時に、野球部に所属し広島市民球場でプレーした際の何とも言えない興奮も思い出します。
広島の歴史の中で、広島カープのこれまでの歩みや、なくなったとはいえ広島市民球場の果たした役割は、長く刻み込まれ人々の記憶の中で生きていくことでしょう。