事件の教訓生かして 松本サリン19年 河野さんに聞く

http://www.shinmai.co.jp/news/20130627/KT130626FTI090003000.php

オウム真理教による1994年6月の松本サリン事件の第1通報者で、当初容疑者扱いされた河野義行さん(63)=鹿児島市=は、いまも自身の体験や事件の教訓を伝える講演活動を続け、特に犯罪被害者救済の迅速性を訴えている。国内で無差別テロのような事件が起きたとき、「また、オウム事件のように一から法律を作っていたのでは、被害者が一番支援してほしい時に対応できない」。河野さんは松本サリン事件発生から19年となる27日を前に、信濃毎日新聞の取材にこう話した。

私は、平成12年(2000年)4月に、静岡地検から千葉地検へ移動し、その年の8月末で退職する前に、松本少年刑務所で受刑中の、さる事件の共犯者を取調べるため、長野地検松本支部へ出張したことがありました。金曜日の午後に取調べを行い、その日は一泊して、翌日の土曜日午前中、帰る前に、松本サリン事件の現場を見学しようと、その周辺を一人で歩いてみると、土曜日の午前中というせいもあったと思いますが、ものすごく静かで人通りもなく、こういう場所で、あの凄惨な事件が起きたことが信じられない思いがしたことが、昨日のことのように思い出されます。当時は、まだ事件発生から6年程度しか経っておらず、オウム真理教関係の捜査に忙殺されていた平成7、8年当時の記憶もまだ生々しくて、大規模なサリンプランとで生産されていたサリンを、庭先で薬品を配合して作ったという、見当違いも甚だしい見立て違いのまま河野さんを取調べた警察捜査の失態や、松本サリン事件がもっと早期に解明されていればその後の地下鉄サリン事件なども防げたのではないか、などと、あれこれ考えながら、静寂そのものの松本サリン事件の現場付近を歩いたものでした。事件から19年が経って、世間的には事件が風化してしまっても、忘れられず傷が癒えない人々は多いでしょう。私自身の中でも、平成7、8年当時の、忘れ得ぬ過酷な日々の記憶とともに、松本サリン事件は脳裏に刻み込まれ忘れることはありません。