http://www.asahi.com/international/update/0423/TKY201104230102.html
質問したのは千葉市に住むエレナ・マツキさん(7)。自宅マンションのベランダで撮った日本語のビデオレターで尋ねた。
これに対し、法王は「私も自問しており、答えはないかもしれない。(十字架にかけられた)キリストも無実の苦しみを味わっており、神は常にあなたのそばにいる」と答えた。
法王は「悲しさは消えない。しかし、世界中の人たちがあなたたちのことを思っており、私は苦しむ日本のすべての子どもたちのために祈る」とも述べた。
昔、遠藤周作の「沈黙」を読んだ際、迫害、拷問に耐え棄教を拒否する宣教師が、この少女と似たような思いを抱いた場面があったことを思い出しました。「沈黙」というのは、おそらく、そこから来ているものと思われますが、それに対して、キリストがどのように答えたのか、興味ある方は読んでみてください。沈黙という作品の普遍的な価値ということを、上記の記事を読み改めて感じました。