http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091119-00000612-san-soci
弁護団によると、市橋容疑者は県警の捜査員に「(市橋容疑者の)姉の所にマスコミが取材が行ったのは、お前が黙っているからだ」、検事には「黙っているなら親が死刑になるべきだ」などと言われたことにについて触れ「(この質問は)許されるのか」などと弁護団に質問。弁護団が県警や地検に申し入れができることを伝えると「お願いします」と頼んだという。
市橋容疑者は、取り調べのやり取りを弁護団が差し入れたノートに詳細に記述しており、弁護団は「特に、家族のことに触れられるのを気にしているようだ」と話している。
被疑者に反発されているようでは、割って自白をとるには程遠いでしょうね。
私が、取調べで最も苦労していたのは、オウム真理教の信者を次々と取り調べていたころですが、完全黙秘の被疑者も中にはいて、何とか口を開いてくれないか、口を開くだけでなく心を開いて真相を語ってくれないかと、連日、取調べの準備に時間をかけ、あらゆる資料を読んでオウム真理教という組織について情報を収集し、その中での信者の活動、思いといったことについて考え、原始仏教、チベット密教など、オウム真理教のバックグラウンドになっているような部分についても自腹を切って本を買って読むなどしたものでした。また、地下鉄サリン事件等の被害者やその遺族といった人々の調書も読み込んで、被疑者に、直接自分が関わっていなくても、所属していた教団が関与した事件も含め、真摯に向き合ってほしいといったことを、よく語っていたことが思い出されます。恫喝、罵声といったことで真相が語られるような状況では到底なく、毎日、祈るような思いで、必死に取調べに取り組んでいたことが記憶の中に蘇って来ます。逮捕中も含め22日か23日、連日、被疑者が留置されている警察に通って取調べを行い、完全黙秘から徐々に自白を引き出して最後は完全自白にまで転じさせた被疑者もいましたが(余談ですが、被疑者があまりにも検事の私に詳細に自白したことから同じ話を警察にするのが嫌だと駄々をこね、やむを得ずとった調書のコピーを警察に渡し、警察がそれを丸写しして調書を後追いで作っていました)、取調べが何とかうまく進捗した段階で、なぜか無性に悲しくなり、警察からの帰りの地下鉄の中で人知れず涙をぬぐっていたことがありました。今でもあの時の自分の涙が何だったのか、よくわかりません。今ではしがない弁護士になり果てていますが、私にもそういう時代がありました。
真の意味で難しい取調べというものは、取調官自身の人間性、人格、人間に対する洞察力や理解力といったことが徹底的に試されるものと言っても過言ではないように感じます。
そういった観点で、上記の記事にあるような取調べを見ると、そこに出てくるような言葉通りの言動が取調官にあったかどうかはよくわからないものの、取調べが成功しつつあるようには見えません。