足利事件、検察「否認おかしい」 「自白」促す様子録音

http://www.asahi.com/national/update/1007/TKY200910060437.html

複数の事件関係者によると、この供述が録音されていたのは92年12月初旬の2日間。足利事件について犯行を「自白」していた菅家さんが初めて否認に転じた第6回公判(同年12月22日)の直前にあたる。不起訴が決まっていなかった別の2件の女児殺害事件を取り調べていた。
関係者によると、菅家さんは取り調べ中、担当検事に「やっていません」と、足利事件への関与を否認。起訴前の調べで「自白」した理由について「検察官も怖かったからだ」などと話したとされる。
ところが、翌日の調べでは検事から「昨日の否認はおかしい。(菅家さんが)犯人であることは証拠上も間違いない」などと追及され、再び「自白」に転じたという。

供述の変遷状況というものは、供述の信用性を判断する上で重要な要素になるものですが、取調べが全面的に、あるいはそれに近い形で可視化されれば、変遷の有無や内容といったことがよくわかりますから、より正確、緻密な分析、評価が可能になるというメリットがあると思います。
その点、従来の密室状態下での取調べでは、被疑者が否認している、あるいは自白、否認の間で供述を変遷させている間は供述調書を作成せず、引っ張るだけ引っ張り、様々な圧力をかけ、揺さぶり懐柔もして、被疑者も、このままでは供述調書を取ってもらえないと不安になる中、少なからぬ場合に、「もぎ取る」形で供述調書が作成されてきたものでした。供述調書作成場面だけの録画・録音では、そのようにして「もぎ取られた」結果の場面だけが記録に残るということになりかねず、それでは「もぎ取られる」までの経緯が抜け落ちてしまいますから、意味がないということになります。逆に言えば、捜査機関側が、供述調書作成までの経緯を記録に残したくない、隠したいとして躍起になるのは、従来の、供述経過を記録に残さず変遷状況をわからなくする、という、姑息とも言える発想からなかなか抜け出せないことの現れ、ということにもなるでしょう。
そういった観点で、上記の記事に出ている足利事件における供述経過を見ると、改めて興味深いものがあります。