寛永寺の将軍家墓所に八角覆堂の遺構…異例にして貴重

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江戸時代の墓所八角覆堂が確認されているのは寛永寺と並ぶ徳川家の墓所である、東京・芝公園増上寺にある2代将軍秀忠の墓のみ(1945年の戦災で焼失)。将軍家では、秀忠の葬儀や墓が、後のモデルになったとされており、家康、秀忠の葬儀に影響を与えた天台宗天海大僧正(1536?〜1643年)の思想が受け継がれたとみられている。寛永寺の将軍家墓所を含め、八角覆堂は一つも現存しておらず、いつ失われたかは分かっていない。
八角形の仏教建築としては、8世紀に建立された国宝の法隆寺夢殿(奈良県斑鳩町)が有名。

戦国時代の武将では、上杉謙信毘沙門天に傾倒していたことが有名ですが、占星術により開戦時を決めたり、軍師が、一種のシャーマンのような役割を果たしたりと、神秘的なものへの傾倒、そういったものからの影響というものがかなり強かったようで、それが、安土桃山期を経て、江戸時代へと移行する中で、どのように継承、あるいは変容したかには興味深いものがあります。よく取り上げられる織田信長の宗教観も、よく、比叡山焼き討ち等も絡めて、「自らが神になろうとした」とも言われますが、神仏を尊崇していた側面もあったようであり、一概に神になろうとしていた男、とも決めつけられないような気がします。
そういった興味を持っているせいもあって、この記事はおもしろいと思いました。