第22回司法シンポジウム「市民のための弁護士をめざして−いま、弁護士・弁護士会に求められるもの−」

 一昨日のエントリでも触れましたが、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070621#1182437074

昨日は、午前中から夕方まで、福岡で行われた日弁連司法シンポジウムに参加してきました。出席者が多く、取り上げられた問題に関する人々の関心の高さを感じました。日弁連の平山会長の「生」のお姿を見るのも、本当に久しぶりでした。司法試験合格後、修習に入る前に、新橋あたりで歓待していただいたことがありましたが(今から20年余り前のことです)、その時以来だったかもしれません。ご挨拶まではできませんでしたが、お元気そうで安心しました。平山先生に、早稲田大学の法職課程教室で口述模擬試験の試験官役を務めていただき、懇切丁寧に指導していただいた時のことも思い出されました。
 今日一日、いろいろな話を聞き、私なりに参考、勉強になりましたが、いくつか感じたことをあげると、まずは、弁護士の公益活動というものが、ごく一部の人々の、突出した熱意や努力に大きく依存している、ということでした。それ自体は、もちろん、素晴らしいことではありますが、もっと、裾野を広げて、弁護士全体がそれぞれ、できることを確実にやって行く、という方向へ進まないと、ごく一部の人々に大きく依存した状態は、どうしても無理を来たしたり、歪みを生じたりして、長続きしない恐れがあるように思いました。この辺は、これまでも、また、今後も、大きな課題でしょう。
 また、弁護士過疎地での実態がいろいろと紹介されていましたが、個人の債務整理(いわゆるクレサラ)に、収益の多くを依存している、というのが現状と言えます。このような現状は、今後、貸金業者の利率が利息制限法の範囲内へ下げられ、過払金返還が次第に減れば、収益源として依存できなくなることは確実であり、新たなビジネスモデルを確立して行かないと、事務所経営が成り立たなくなる恐れが確実に生じます。今回のシンポジウムでも、弁護士に対する需要、ということは強く語られていましたが、そういった需要が、債務整理、クレサラという大きな柱を失った後においても、事務所を維持し(事務員への給料支払いなど、結構、経費がかかるものです)、弁護士も贅沢せずとも人並みの生活をする、といったところまで具体的に結びついて行けるかどうか、といったことは、今後の大きな課題という位置づけになっていたように思います。
 私の頭に思い浮かんだのは、国選の刑事事件について、都会よりも地方、特に弁護士過疎地の報酬を手厚くして(一種の傾斜配分)、弁護士過疎地では、国選事件を真面目にこなすことで、最低限の事務所経営及び弁護士の生活費確保は可能、という方法はとれないか、ということでしたが、志は高くても霞を食って生きるわけには行かないので、弁護士過疎地における収益源確保、ということは、今後とも大きな課題であり続けるでしょう。
 いろいろと考えさせられるシンポジウムで、勉強、参考になりました。