『資金洗浄の疑い通報せよ』

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20070126/mng_____tokuho__000.shtml

弁護士や識者からは「国民同士が監視しあう暗黒社会になる。そればかりか善良な国民が巻き添え被害に遭う危険が高い」と反対論が出ている。

こういった取り組みの必要性自体を否定するつもりはありませんが、思い出したのは、旧東ドイツの「シュタージ」ですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B8

IM (Inoffizieller Mitarbeiter:非公式協力者)と呼ばれた密告者を多数抱えており、彼らによって国民を監視し、国内の反体制分子を弾圧した。その徹底振りはソ連KGBをも凌ぐほどであったとされる。反体制分子と目された人々の個人情報記録は東ドイツが崩壊した後、本人に限り閲覧ができるようになったが、それによって家族や親友が実はシュタージの協力者であったという事実を知り、家庭崩壊や人間不信に陥った人々も少なくなく、中には精神を病む者さえ少なからず発生した。

マネーロンダリング防止、テロ対策という目的は正当であっても、国民相互が監視し合う、というシステムは、上記のようなシュタージが確立していた旧東ドイツの「監視国家」体制を想起させるものがあります。
共産主義体制における「監視国家」現象は、東西冷戦構造が崩壊した後、「自由」な国々から徹底的に批判されましたが、今になって振り返ると、手段としては時代を先取りしている面があった、という状態になっているのは、一種の歴史の皮肉のようにも感じます。
このようにして、自由であるべき社会が、次第に不自由な社会になり、犯罪者だけでなく善良な人々も窮屈な思いをしながら生きて行かなければならない、ということについて、単に、仕方がない、やむをえないで済ませて良いのか、という問題意識を持つことが、まず必要でしょう。