それぞれの野心

「野心」という言葉を、異なるニュースの中で見出し、印象深いものがありました。

本間政府税調会長が辞任 官舎問題、事実上の更迭
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061221-00000032-san-pol

柔和な語り口と穏やかな表情。一方で、なかなかの野心家とされ、その強権的手法から誤解を招く場面も少なくなかった。

自民・河野派が解散式、河野氏「時代は終わった」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061215i312.htm?from=main3

河野衆院議長は「河野時代は終わった。私のように政治的野心を持たない者が、政治が曲がった時、危うい時、誰よりも早く感じる感性を持つ」と述べた。

片や野心の果てで沈み、片や野心を否定しつつ静かに消えて行こうとしている、という形になっていますが、河野氏も、かつては新自由クラブを結成し、「野心」(と言うのが適当かどうかはともかく)のようなものを持った時期はあるはずです。野心というものは、より高いステージ、より大きな成果へとつながる原動力であると同時に、他人の恨みや決定的な破局へとつながる躓きの石にもなる、ということでしょうか。また、野心というものを克服、超越したところに、別の新たな価値、境地を見出す、といったこともあるように思います。
今年の終わりを迎えようとしている時期に、考えさせられるものがありました。