背任事件の捜査

http://www.yabelab.net/blog/2006/05/03-155704.php#top

で、佐賀地検が独自捜査をやって、崩壊してしまった背任事件が取り上げられ、鋭く批判されているのを読みました。
私自身、主任検事として、背任事件の捜査に従事したことは2回ほどあり、1件は学校法人理事長による背任事件、もう1件は破綻した金融機関幹部による背任事件でした。どちらも、かなりのボリュームがあり、捜査をやっている当時は、検察庁内の執務室中に記録やコピーが山のようにあって、来る日も来る日も記録の検討や警察との打ち合わせ等に没頭していたことを思い出します。どちらの事件も、起訴後、特に問題なく進行し、事件は確定して終結しているはずです。
そのような経験から感じるのは、この種事件では(知能犯全般に言えることですが)、立件の対象にする事実をうまく選択しないと、間違った選択をしてしまったら最後、いくら必死に捜査をやっても、無罪方向でしか固まらない、という悲惨なことになりかねない、ということです。事件の「筋」と言い換えてもよいでしょう。
特に、金融機関による融資を巡る背任事件(上記の佐賀地検の事件もそうだったようですが)では、問題とされている融資について、関係者なりに、いろいろな思惑があることも多く、背任罪の構成要件に書いてあるような、図利加害目的とか、任務違背行為の認識、といったものが、単純、ストレートに出てこない場合も少なくありません。告訴、告発があったとしても、告訴人や告発人側の思い描いているストーリーが、最終的に裁判所における有罪判決にまで至るようなものかどうかは何とも言えません。
この辺は、学者の書いた本を読んだり判例を眺めているだけでは答が出ない、極めて実務的なところで、判例や学説を踏まえるのは当然のこととして、健全な実務感覚を働かせつつ、最終的に有罪獲得まで持って行けるか、を見極めて、その上で立件、着手へと進む必要があります。その辺をうまくやれば、捜査が成功する可能性が高くなります。
手前味噌で恐縮ですが、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20050803#1122997895

で言及した事件は、告訴人側からそういった作業をやって(やったのは私ですが)、いくつもある告訴事実の中で特に筋が良い事実を抽出し強く働きかけた結果、放っておけば確実に不起訴になったものが、一部とはいえ起訴されました(その後、1審、控訴審実刑判決が出ています)。
佐賀地検の事件で、主任検事がどれほどの能力、経験を持っていたのか、よくわかりませんが、いろいろな意味で、事件の筋を読み違え、着手すべきでないところで着手してしまって、焦りが「暴言」にも結びついたのではないかと、私は感じています。結果論にはなりますが、それほど高い能力、豊富な経験を持っていたとは言えないでしょう。
佐賀地検として、あるいは福岡高検として、事件着手にあたり、どれほどの検討をしたのかもよくわかりませんが、この種の知能犯の筋読みというものは、見るべき人が見るかどうかが非常に重要という側面があり(その辺の能力が極めて優れている人が東京地検大阪地検の特捜部副部長になるのだと思いますが)、地検3席検事の筋読み能力、経験が、もし十分でなければ、次席検事、検事正、高検検事、高検刑事部長、高検次席検事、高検検事長という、一連のラインのどこかで、見るべき人がきちんと見る、ということが行われるべきであったと思いますし、事件がうまく行かなかった責任を、主任検事のみに押しつけるのはおかしいと私も思います。都合の良いときだけ「検察は一体だ」などとのたまい、都合が悪くなると、ほおかむりしてこそこそ逃げてしまう、というのは良くないでしょう。