http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060205-00000008-mai-soci
三木氏は田中氏が逮捕される1カ月前の76年6月、米ロサンゼルス滞在中の堀田氏に直接電話をかけ、「どのくらいでケリがつくか教えてくれ。尋問できそうか」と迫った。堀田氏は捜査への影響を理由に断ったという。この時期、堀田氏は田中氏の受託収賄罪の決め手となったロサンゼルス連邦地裁でのロ社幹部の嘱託尋問を担当していた。
またロ事件で国会審議が止まった同年3月、三木氏は首相官邸で堀田氏らに対し、日米司法共助協定の締結に向け「(米側との交渉は)急がなくていいよ」と徹底追及を指示していた。
さらにその直後、日本の高官名が記された米側資料の公開をめぐって、三木氏は高官名の公開を執ように求めたが、堀田氏らは拒否したという。こうしたやりとりは、自民党内で田中派を中心に反三木勢力が強まる中、三木氏がロ事件の真相究明に政治生命を賭けた一端を垣間見るものだ。
ロッキード事件が、三木首相の真相解明へ向けた決意がなければ、あそこまで事件が伸びなかったことは確実だと思いますが、検察庁法は、捜査に関する具体的指揮を、法務大臣が検事総長に対してのみ行うものとしていて、上記のような首相の捜査介入は、一歩間違えれば捜査に重大な影響を及ぼしかねないものと言えるでしょう。