求刑と量刑(その2・終)

「求刑と量刑(その1)」
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20050515#1116122203

最近の刑法改正による法定刑の引き上げも、こういった流れ(求刑基準の引き上げ、それに影響された重罰化現象)の中で行われたものであり、法定刑引き上げにより、更なる重罰化の余地を、検察官と刑事裁判官に与えたと言っても過言ではないと思う。
私は、こういった流れを、単純に間違っているなどと言うつもりはない。国民の意識として、従来の刑罰、特に、人の生命、身体を直接的に侵害するような犯罪(典型例は殺人)に対する刑罰が軽きに失していたのではないかという不満には根強いものがあったと言えるし、求刑・量刑の厳格化や法定刑の引き上げも、そういった国民の意識、世論に支えられている面が多分にあることは間違いない(そのような事情がなければ、法定刑を引き上げるという刑法改正は国会で承認されないであろう)。
ただ、一実務家として問題提起しておきたいのは、「犯罪に対していかなる刑罰を科すか」ということについて、きちんと整理しておく必要があるのではないか、ということである。
犯罪の増加、治安の悪化、捜査機関がそういった現象に対応しきれないこと、そういった状況に伴い国民の「体感治安」も悪化して、犯罪やそれに対する処罰への国民の関心も高まり、流れは厳罰、更なる厳罰へという状況にある。刑事実務の最前線にいる捜査官、検察官、裁判官も、そういった流れの中に身を置いており、目の前にいる犯罪者、被告人をより厳罰に処すことを目標としがちであり、厳罰に処されることにより目的達成という意識になりがちである。
しかし、現代の刑罰は、単なる応報ではなく、応報を重要な要素としつつも、広い意味での社会統制手段であり、また、そうあるべきである(いろいろと異論はあるが、私はそのように考えている)。刑罰の機能の中には、一般予防(犯罪の抑止)だけでなく、特別予防(犯罪者の改善・更生)も含められるべきであるし、刑罰の行使やその内容自体が、国民の規範意識や応報感情に沿ったものである必要もあると思う。
現状は、そういった観点に基づいて、「このような犯罪に対しては、このような刑罰が科せられるべきである」ということについて、きちんとした整理が行われないまま、ある犯罪については従来の「求刑・量刑相場」に基づいた求刑・量刑が行われ、別の犯罪については僅か数年の間に求刑・量刑が格段に重くなり、といったことが、一種のその場しのぎのように行われているという面があるのではないかと私は考えている。
犯罪を分類整理し、分類整理した犯罪について、他の要素も加味した上で、このような犯罪でこのような事情がある場合は懲役何年から何年、といった形である程度基準化し、そのような基準については広く公開して、不断に見直して行く、ということを行うべき時期に、我が国も差し掛かっているのではないかと思うのであるが、いかがなものだろうか?