残留孤児 ロシアから初来日へ 全滅のトーチカからソ連兵に救われ…

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20041108/mng_____tokuho__000.shtml

一九四五年八月十七日。中国黒竜江省・牡丹江の掖河(イェフー)駅近くで、爆発音に続き猛烈な黒煙が上がっていた。難攻不落の日本軍のトーチカ(陣地)に手を焼いたソ連兵が、重油を浸した布きれと手投げ弾を煙突から投げ込んだ。
 兵士の一部はいぶり出され、中に残った日本人は死んでいた。
 「変わった服だな」。トーチカ内に残されたアルバムをめくっていたソ連軍のミフリャ副隊長は、着物をまとった赤ん坊の写真が気になった。そばで遺体で見つかった日本人将校とみられる父、母と一緒に写った家族写真を持ち帰ろうとしたが、大きすぎて雑嚢(ざつのう)に収まらない。赤ん坊だけ写った小ぶりの写真一枚のみ持ち帰ることに決めた。裏にロシア語で「ムーダンジャン(牡丹江) 1945年8月17日」と書き付けた。
 「生存者なし!」。トーチカから撤収を始めた時、部下のイワン兵士が子どもの泣き声を聞きつけた。斑点(はんてん)模様の赤茶色の上着とズボン、黄色いシャツを着て、毛布に包まれていた赤ん坊の顔は、持ち出した写真の子だった。

本当にお気の毒としか言いようがないです。来日後は、政府も含め、できるだけの支援をすべきだと思います。