いろいろとご意見などをいただいたので、私のほうでも、関連して、若干述べたいと思います。
今回の司法改革で法曹人口が増える可能性に対して「一人一人の質が落ちる」事を危惧する考えもありますが、現在の法曹人口が圧倒的に不足しているために、海外弁護士の国内業務が認められたのではないでしょうか?
(中略)
同様に法曹人口が増えることによるメリットと、もしかしたら出現するかも知れない程度の低い法曹によるデメリットを天秤にかけた場合、人口増加によるメリットの方が大きいのではないでしょうか?
「法曹」人口について論じる場合、「裁判官、検察官、弁護士」に限るのか、その他の隣接職(司法書士など)も含むのか、という問題があります。その点を含め、日本の法曹人口が少ないかどうかは、議論があるところですが、「少ない」というのが常識的な見方でしょう。私も、少ないという意見です。ただ、外国弁護士については、「人口の圧倒的不足」から「国内業務が認められ」という単純な経緯ではないと思います。そのことも原因のひとつではあると思いますが。
②今回の司法改革のもう一つの狙いは、多様な法曹の養成のはずです。法律家としての知識とともに他の領域の知識を持つ法曹。このような法曹を養成するために、法曹養成機関を大学院レベルとしたのではないでしょうか?落合先生の仰るように学部レベルの法曹養成では、この目的は達成できにくいと思われます。
理想を言い始めると際限がないと思いますが、法学部で教えていた人がロースクールへ移って、初学者相手に四苦八苦しながら講義を行いながら結果が思わしくなく、高い授業料を払った学生が不満たらたらで右往左往している現状を見ると、法学部教育を充実させ、法律以外の分野にも目を向けさせる教育を施したほうが、合理的で学生にも親切ではないかと思います。
③落合先生のプランは学部教育四年間でのプランだと思いますが、学部入学定員を一体どれくらいに設定し、最終的な学部卒業者を何割位としたうえでの司法試験合格者3000人なのでしょうか?そもそも、3000人という数字に何か根拠があるのでしょうか?
3000人という数字について、私独自の積極的な根拠を持ち合わせているわけではありません。法曹三者(特に弁護士会関係)で、散々、もめにもめた挙げ句に、落としどころとしてこの数字がある、と理解しているので、当面はこれで行くしかないのかな、という程度です。
私が言っている「認定法学部」の定員は、合格者3000名として、4000名から5000名というところでしょうか。法学部以外の出身者の合格もあるので、5000名では多くて、4000名プラスアルファ程度がよいかもしれません。
もしも落合先生が、司法・法曹が社会保障としての機能はなく、紛争当事者間の問題解決請負人であり、その技術の巧拙により自由に営利を追求できるとお考えなら、それはそれでよいと思います。しかし、職業人としての養成期間中になにがしかの国費を投入されて訓練された国家資格保持者に、社会保障の担当者としての責任が全くないとは言い切れないと思います。落合先生の納められた税金から、医師の養成費の何がしかは拠出されています。私の納めた税金から、法曹養成費の何がしかは拠出されているのです。
あまり知られていませんが、現在の弁護士も、公益に関連した活動は相当やっていると思います。国選弁護、当番弁護といった刑事関係もありますし、弁護士会内の各種委員会に所属して、手弁当状態でいろいろな活動を行うなど、動いている時間の中で「お金にならない」部分も少なくないというのが、一般的な弁護士の姿です。その根底には、公費を投入して司法修習が行われているなど、単に市場原理とか私利私欲だけで動いているわけではない、という法曹の意識があって、そういった活動を支えているということが言えると思います。マスコミなどに大きく露出して、勝訴判決とか収入の多さを誇ったりする、ごく一部の弁護士を基準に物事を考えると、誤解が生じるでしょう。
# 小倉秀夫 『実は「現在の法曹人口が圧倒的に不足している」ということ自体が、検証されていない事実だったりします。実際の需要を度外視して合格者数を圧倒的に増やしてしまうとどういう弊害が発生するのかということは公認会計士業界が既に味わっているので、何も同じ過ちをする必要もないのではないかとも思うのですが。』
この点は、非常に難しい問題です。私は、日本の法曹人口が、まだ少なくて増やすべきだとは思っていますが、どの程度が適正かは、自信を持って答えられません。ただ、小倉先生よりは楽観的(楽天的?)で、まあ、なんとかなるだろう、潜在需要もこれから掘り起こせるだろう、と思っている面があります。
# 小倉秀夫 『さらにいえば、日本の医療水準が比較的高いのは、毎年8000人の新規参入者がいるからというよりも、健康保険制度があるからというべきでしょう。そのアナロジーでいうならば、法曹人口をむやみに増やす前に、法律扶助制度を他の先進国並みに整備することの方が、国民が司法にアクセスしやすい社会の実現にはよほど資するということになります。』
法曹人口の増加と並行して、そういった経済面での基盤整備も進めないと、今後、増加した法曹が、ボランティア状態で仕事をするしかなくなりかねず、非常にまずい状態になると思います。
公認会計士業界は、需要に対する飽和が確かにあるようですが、それで消費者は困ることがあったのですか?私が勉強不足だったら申し訳ないのですが、あまりそういう話は聞きません。需要に対する飽和で困ったのは、公認会計士達であり、そして彼らは誰に強制されるでなく、自分の意思で公認会計士になったのだと思います。
上記のような公益に関わる仕事を弁護士がやっている場合、それなりに経済的基盤があり他で収入があるからこそ、「お金にならない」仕事も並行してできる、ということになります。弁護士が増え、需要に対する供給が過剰になり、競争も激化すれば、「お金にならないことはやらない」という傾向が進むことは間違いないでしょう。お金が出せる人は問題ないとして、出せない人は誰が面倒を見るのか?ということになります。そこで、消費者と言いますか、法律サービスを利用しようとする人々が困る、という状況が出現する可能性が出てくるでしょう。日本は法治国家であり、公認会計士と弁護士では、その活動が公益に関係する場面が異なる(弁護士のほうがおそらく圧倒的に多い)ので、単純には比較できないと思います。
# tedie 『医師の問題とパラレルにいうと、無医村等医療の偏在の問題は解消したのでしょうか。法曹人口の不足しているかどうかは別として、弁護士の偏在はあるようです。これは医師の世界をみているかぎり、人数増だけでは対処できない気もします。』
大都市圏以外で弁護士が少ない、という問題は、確かに重要な問題です。私は、法曹人口の増加の必要性を支えるのは、まずこの点ではないかと思っています。
で、先ほどから、私は法曹人口が需要に比べて不足している‥という前提で発言しているのですが、法曹人口は需要を満たしているというデータもあるのですか?私は不足しているという考えは、なかば思い込みに近いものなので、もしもそうでないのなら訂正したいと思っています。どなたか、そういうデータがあれば教えて下さい。お願いします。』
# 小倉秀夫 『弁護士に法律事務を委任したいと申し込んだが弁護士が多忙故に断られるかまたは待たされるという事態が一般的に生じていれば「弁護士が不足している」といえるわけですが、私の認識では、そういう事態は一般的ではありません。』
「需要」というものをどこで見るか、それに対する「供給」をどう考えるか、は、なかなか難しい問題です。一見、需要に見えるものであっても、消費者センターなど、既存のサービスを利用するのが適当なものかもしれませんし、裁判外紛争処理の拡充の必要性も叫ばれていますが、そういうところで吸収するのが適当なものもあるでしょう。
ただ、私の理解では、大都市圏以外ではまだまだ弁護士は少ないし、裁判官、検察官も少なく、法曹人口増加の必要はあると考えています。問題は、どこまで増加させるのが適当か、でしょう。そこが難しいのです。
# 小倉秀夫 『新規資格取得者の数を実需を度外視して増加してしまうことの最大の問題は、資格取得者のうち実際に資格者として実務経験を積むことができる者が限られてしまうという点にあります。すなわち、多大なるコストと年月をかけて資格を取得しても、スタートラインに立てない人間を大量に生み出してしまうことが問題となるわけです。それは、社会にとっても無駄であると同時に、スタートラインに立てない本人にとっても人生を棒に振ることにもつながりかねないものです。
そして、日本の現在の社会システムにおいては、年間3000人も新規法曹資格者を輩出してしまえば、そのような事態を生じさせる危険性は極めて大きいといえると思います。』
私は、この点については楽観的で、従来の法曹としての仕事に就かない人(就けない人と、敢えて就かない人がいるでしょう)は、企業や各種公共機関で働くとか、従来は行かなかった分野に行って、社会のいろいろな分野で法曹が活動する、という状態を思い描いています。
私は、都道府県警察以外に、アメリカのFBIのような全国的な規模の警察組織が必要であると考えていますが、そういった捜査機関ができた場合、法曹資格者がそこで働く、ということもあるでしょう。
私が用いる「需要」とは所謂潜在的な需要も含めてのことです。
(中略)
小倉様の仰る需要とは顕在需要であり、誰にも分らない潜在的な需要を否定する材料にはならないかと思われます。
私も、潜在需要にも目を向ける必要があるという考えです。ただし、「誰にも分からない」では、予測も何もできませんから、ある程度予測できるものでないと、制度が設計できないと思います。
また、「新規資格取得者の数を度外視して‥中略‥棒に振ること‥」ですが、そのような不幸な資格取得者が大量に出現する事は確かに社会の無駄ですね。ま、大量とはどの程度の人数なのかによりますが、仮に千人のスタートラインに立てない法曹資格取得者が出現したとしても、残りの二千人はスタートラインに立って実務経験を積む事が出来ます。この二千人の法曹の社会における貢献と、千人の不幸な有資格者を輩出する事の社会的負担とを秤にかけた場合、私は貢献の方が大きいと思うのですが。』
制度を設計するにあたって、「駄目なものはどうなってもいい」といったことにしてしまうと、様々な弊害(反社会的な分野に関わる、そういった大量の脱落者を目の当たりにして志望者が減る、など)も十分考えられるでしょう。
そもそも現在法曹として活躍されている小倉様が、まだ実際には参入していない者達の失業を心配されることが不可解でなりません。もしも私の息子が医師になりたいと言い出したら、将来の医療状況を考えて彼の失業を心配するでしょうが、一般論として、専門家の道に自分の意思で参入しようとしている者達の失業を心配する必要が、いったい何処にあるのでしょうか? 生き残る者が常にそれに相応しい者であるとは限りませんが、大概は生存者は適者であるといえるでしょうし、またそのようなシステムを先人である我々は後輩のために作らなければならないと思います。
失業が問題、と言うよりも、そういう制度を設計してしまって良いのか?という問題でしょう。完全な市場原理が支配すると、「お金が出せない人はサービスが利用できないことになっても仕方がない」ということになりますが、そういうわけにも行かないところが、法曹制度の難しさです。例えば、やってもいない冤罪で死刑判決を受け、無一文で冤罪を訴えている人がいた場合、市場原理では救済できません。
# とおりすがり 『医療、法曹業界とは異なる分野のものです。別に医師免許や弁護士資格保持者が普通のサラリーマンやっても良いと思うのですが。専門知識を生かすのなら、医者が製薬会社でMRでも新薬開発でもできるハズですし、弁護士資格を持った会社員(一般企業の法務部門?)で働いても良いはずです。社会的地位や収入の差からイヤなんでしょうか。
私は、そういった多様な進路があって良いと考えています。
# きゃんた 『初めまして。最近ではインハウスの弁護士も増えているようですよ。私は,せっかく自分の腕でいろいろな仕事ができるのに会社の仕事に固定されるのはつまらない,と思っています。』
インハウスの仕事も、内部で物を見ることにより勉強になることが多く、また、一定期間インハウスで、という人も増えつつあるので、「多様な進路」という意味で、私は肯定的にとらえています。
議論の先は法曹の供給量を政府が統制するか、市場が決定するかということになるのではないでしょうか?需要量を把握できない政府の非効率な配分より、「神の見えざる手」が働く市場により需給の均衡を求めるほうが経済全体(国民全体)にとっては効用が高いでしょう。外部不経済等の弊害でも発生しない限り、法曹の数の制限にあまり根拠は無いと思います。
市場参入が割りに合わないと判断すれば参入しなければ良いし、供給過剰になれば競争により淘汰されていくことはどの分野でも同じです。法曹だけ特別な理由もあまりないでしょう。
「市場が決定」という場合に、その市場の中には、冬に雪が数メートルも積もるところとか、人よりも熊の数のほうが多いところとか、そういったところも含んでいるんでしょうか?冤罪で死刑判決を受けている無一文の人は?「法曹だけ特別」とは思いませんが、特有の事情はあると思います。
「需要」があるにもかかわらず、法曹の「供給」を絞りすぎるのは良くないと思いますが、楽観的な市場原理論は、法曹養成制度にはストレートにあてはまらないと思います。劣悪な法曹は、「市場」から淘汰されると思いますが、資格保有者である限り、淘汰されるまでに多数の被害者が出る可能性が高く、需要と供給の状況を見ながら、国が法曹養成に関与することは今後も必要でしょう。「淘汰」される人が最小限度で済むような制度設計しておかないと、淘汰の過程で、耐え難いほどの被害者が続出しかねません。日本弁護士連合会が出している「自由と正義」という月刊誌がありますが、毎号、懲戒処分を受けた弁護士が出ており(最近は毎号10名弱程度)、この数が、この10倍とか100倍になった時の社会的影響の深刻さということも考えてみる必要があるでしょう。
# 小倉秀夫 『ついでいうと、法律サービスのような信用財は、公的な機関が質を担保する制度の方が、純粋な市場原理による淘汰にゆだねるより、国民全体にとっての効用は高かったりします。』
私も、市場原理ということを否定するものではなく、適切に取り入れることは必要だと思いますが、公共性のあるものについては、公的な機関なり制度が適切に関わることも同時に必要であると思っています。
# 医師です-7 『小倉秀夫様の仰る通り、公的機関がその質を保障するなり担保するなりの制度が必要だとは思います。現状では、国家試験がそういう意味で設定されていると考えられますが?ただ、以前から思っていたのですが、国家試験をパスしながら、非常に質の低い医師(法曹にも居ると思いますが)が存在します。そういう人に医師免許(法曹資格)を与えてしまった国の過失はないのでしょうか?
それから、大変失礼ですが、小倉秀夫様の仰っている事は、二つの異なる論点が混合しているのではないでしょうか。法曹の質の保障と、法曹資格者の生き残りは全く別の問題だと思うのですが。
日本の法曹人口が少ない、という「需要」面から考えれば、どんどん試験に合格させて法曹を供給すべき、ということになり、国家試験で質を維持すべき、というのであれば、厳しく選別する(かつての司法試験のように)ということになるでしょう。市場原理に委ねるのであれば、試験のハードルは低くしておいて、市場の中で淘汰、ということになりますから、ハードルを低くした国などが責任をとるのは奇妙でしょう。
お金や労力を投入して資格を取得した人が、一定の能力を持っているという条件の下で、普通に生活することができる(言うなれば生き残り)という点が確保されていないと、生活苦から違法・不当な行為に走ったり、悪徳商法、高利貸しと結託したり、といった弊害(質の低下)が生じかねないので、両者はまったくの「別問題」とは言えないと思います。
また、viochi様の仰る「市場原理を徹底して‥中略‥誰も引き受けてがいなくなり」は、現在の法曹人口ならその通りですね。しかし小倉様のお考えによれば、法曹資格を持ちながらスタートラインに立てない人も居るので、そういう人が担当すれば数合わせは成立すると思いますけど‥。
実態は「数合わせ」でも、法律相談に来たりする人々には、「この人は数合わせの弁護士だ」などとはわかりません。なけなしのお金を握りしめて、弁護士会がやっている法律相談を利用しているような人のことも、考えてあげるべきでしょう。
「法曹に市場原理を導入するのであれば、弁護士が市場原理に基づいて‥以下略」についてですが。お尋ねしたいのですが、弁護士は全く市場原理に基づいて仕事をしていないのですか?
「市場原理」というのが、「やった仕事に応じた報酬をもらう」ということであれば、それが基本でしょう。小倉先生が言っているのは、そういう意味ではなくて、「儲かる仕事、割りの良い仕事しかしない」ということで動いているわけではないという趣旨だと私は理解しました。
ところで質問ですが、医師には応召義務がありますが、弁護士にはそういう規定はあるのでしょうか?あるからどうした、ないからどうだという事ではなく、単純に疑問に思っています。どなたかご教示下さい。』
当番弁護士に登録していると、連絡があれば、被疑者が留置されている場所(警察署など)へ出向くことになりますから、一種の「応召義務」のようなものでしょう。その場合、相談を超えて、受任するまでの義務を弁護士に課しているところは少ないと思いますが、課している弁護士会もあります(例えば東京弁護士会)。
# 別の通りすがり 『弁護士の収入の観点から法曹人口を考えるのは、ギルド的エゴでしかないと、かつて第二東京弁護士会会長が言ってました。「医師です」さんは内容的に同じ様なことを言いたいのでは?』
私は、法曹人生を弁護士からスタートしたわけではないということもあって、そういった「ギルド的エゴ」には至って冷淡ですが、既にコメントしたように、一定の収入は確保して普通に生活できるような制度設計は必要だと考えています。
しかし、純粋に私は顧客の立場として、今の弁護士は数が少なく、あまりに選択肢が少ないと感じているのです。なにより、その弁護士の専門が何であるかも素人には分りません。
弁護士についての情報があまりにも少なすぎるというのは、ご指摘の通りだと思います。ごく一部で、弁護士についての情報を公開して、という動きも出てきていますが、「広告」という側面が強かったり、客観性に疑問があるなど、いろいろと問題があるようです。
客観的な評価機関が、弁護士について厳密に審査、評価して、国民がその結果を広く利用できる制度が望ましいと思いますが、日本人には馴染みがない制度なので、定着するまで時間がかかりそうです。
現在の法曹人口が少ない、ということは、私も同じ認識であり、今後、増えることは確実なので、緩やかではあっても、現状が改善されて行くことは間違いないと思います。