政界進出を決意しました

私こと、検察庁を退職して11年余り、紆余曲折を経つつ、しがない弁護士として細々とやってきましたが、昨年3月11日に発生した未曾有の東日本大震災、それに伴う深刻な原発事故やその後の数々の危機的状況、疲弊し上向かない国民生活等にかんがみ、政界進出を決意しました。次回の衆議院議員総選挙に出馬します。
既存の政党に所属しては、この危機的状況を克服することは難しいことから、新党として「よみがえれ日本」を立ち上げ、与党、野党の双方を含め、幅広く同志を募り、協力しつつ日本再生を目指します。
当面、
1 増税なき財政再建
2 東日本大震災からの早期復興
3 国民生活の安定と充実
を目標とし、ITを基盤とした強力で世界をリードする国家を目指します。
今後とも、応援していただくようお願いします。

追記:

日付をご覧ください。

2012年03月31日のツイート

子供たちの生活に浸透するタブレット端末、膨らむ懸念

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/it/2868683/8719147?ctm_campaign=txt_topics

タブレット型端末については一部専門家から、発達障害自閉症、注意欠陥/多動性障害(ADDA)を引き起こす恐れがあるとの指摘が出ている。この点についてフォーラムでは、結論を急ぐべきではないとの見解が相次いだ。

バックレイトナー氏は、全てはバランスの問題と見ている。iPadをベビーシッターにしてはいけないが、子ども部屋の棚に並んだ「おもちゃの1つ」としてはさまざまなものをもたらしてくれるということだ。「直感を信じればいい」と同氏は親たちに勧めている。

タブレットが世に出て、まだ間がなく、使用者への影響を論じるには、まだ時期尚早であるということは言えるでしょう。今後、弊害事例があれば分析し、原因を究明して、因果関係が認められれば弊害防止へとフィードバックする、ということが必要になると思います。
私も、上記の記事中のコメントにある、「バランス」ということは重要と考えています。子供の場合、心身が成熟していないわけですから、バランスを欠いた行動、生活ということが、心身のバランスの良い成熟に支障を来す恐れは常にあり、タブレットについても、しがみついて一心不乱に何時間も熱中している、といったことはしないように、保護する立場にある親などが、しっかりと監督、指導する必要があるでしょう。
こういう問題もある、ということを、多くの人が頭の片隅に置いておくべき、そういう問題と思います。

新型iPad、家族用の“買い増し”がヒット後押し

http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20120330/1040264/?thit_img&rt=nocnt
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20120330/1040264/?P=2

iPad 2から買い替えずに「様子を見る」という意見が大半を占めていたが、意外と「買い増す」という人が多かった。買い増す人は、iPad 2を妻や夫、両親、子どもなどの家族に渡して、自分が新型iPadを使うという(その逆もある)。「奥さんiPadをとられたから、自分用に新型を買う」という男性もいた。ネットでニュースを見たり、SNSを利用したりするのはパソコンよりもiPadの方が向いている。携帯電話のようにすぐに使えて、持ち運びもしやすい。1人1台という家庭が増えているのかもしれない。
離れて暮らす親に新型iPadを買った人もいた。「パソコンよりも両親は使いやすそうだから」「パソコンのようにウイルス対策が不要だから」「FaceTimeでテレビ電話できるから」と理由はさまざまだ。

SNS等で見ていても、自分は新iPadを買い、元々持っていたiPad1や2は、家族にあげて家族が使っている、という書き込みを見かけますね。2代前の初代iPadでも、今でも十分に実用に耐えますから、そうして、iPadの輪が広がる、という流れ、傾向が着実に出てきているのでしょう。
私自身もそうですが、iPadのようなタブレットは、手軽に持ち運んでいつでもどこでも開いて情報が処理できる、電子秘書的な使い方に適していて、今後は、老人から子供まで、1人に1台タブレット、という状況に、急速になってくる可能性が高いでしょう。本も新聞も雑誌も、様々なお知らせも、また、興味のあるコンテンツなども、タブレットで一元的に管理、把握し、メールやビデオチャット機能などで連絡を取り合って、という生活が、今、正に実現しようとしている、そういった夢のような生活が、夢ではなく、目の前まで来ている、ということを感じます。そうした、「個」が確立した世界では、従来の組織、手法や社会、政治の在り方も、従来通りではあり得ず、大きく変革を迫られてくる、そういうことも感じます。