「あなたたちは宝」タイムカプセルからじいちゃんの手紙

http://www.asahi.com/national/update/0110/SEB201001100026.html

手紙は「成人式を心よりお祝い申し上げます」で始まり、「多くのことをばあさんと一緒に教えてもらい、言葉で表せないほどうれしかった」と感謝。「今日の晴れ姿を拝見し一緒に開封したかったが、病弱な私は思いもむなしくこの世にはいないと思います」とも書かれていた。この頃すでに佐藤さんはがんであることを告げられていた。
カプセルを埋めたのは02年3月。「世界貿易ビルが爆破された思い出から8年。カプセル開封時の日本は、世界は、どういう状況でしょうか。世界平和と日本の発展のため、一人一人が絆(きずな)を大切にしながら頑張ってください。あなたたちは日本の宝です」

そばでじっと聞いていた佐藤さんの妻ミチ子さん(77)は「主人が生きていたらどんなに喜ぶか。手紙まで入っていたなんて、まるでじいちゃん自身のカプセルみたいだね」と話した。

成人の日らしい話題であるとともに、心温まるものを感じますね。今後、カプセル開封のため集まった1人1人が、上記の記事にある言葉をかみしめつつ、それぞれの人生をしっかりと歩んで行くことでしょう。
私が20歳になって成人の日を迎えた頃のことを振り返ってみると、昭和60年(1985年)で、初めての司法試験受験を前に、郷里の広島にも帰らず、成人式にも出席せず、大学や下宿先で勉強に励んでいたことが思い出されます。その年、私は、択一試験には合格して論文試験で不合格となり、8月に日航ジャンボ機墜落事故が起きました。私自身は、その後、紆余曲折を経て、何とか世間の片隅でしがない弁護士として細々と生きていますが、JALは、遂に命運が尽き間もなく倒産(報道等では「法的整理」と言い換えていますが実質的には倒産でしょう)という結末を迎えてしまいました。
人が、組織が、生き長らえて行くことは、簡単なようで難しく、一生懸命やったからうまく行くというものでもなく、様々な予想できない事情によって運命は翻弄されるものです。人を信頼しても裏切られることは少なくなく、賞賛がいつ嘲笑、罵声に変わるかもわかりません。人の世の空しさ、はかなさというものは、年を取るほど感じられてくるものです。上記の記事にある手紙を書いた故人も、そういった事情はよくわかった上で、当時の小学生に対し、大きく期待していたものと思いますが、空しくてもはかなくても、前向きに、明るい希望を抱いて生き抜いて行くのが人生、ということなのでしょう。そのことをしっかりと伝えたかった故人の気持ちが、何となくわかるような気がします。

国旗は背負っていても航空会社「冬の時代」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100110-00000886-yom-bus_all

苦しいのはJALだけではない、ということですね。

業績悪化の主因は、世界不況のあおりで各社がドル箱としてきたビジネス客が激減して売り上げが低迷する一方、コスト削減が進まないことだ。それでも旅客増が見込めない現状で業績回復のカギを握るのは、人員や施設の削減、不採算路線の縮小といったコスト削減策しかない。

業績が悪化する主要航空会社を横目に勢いを増しているのが格安航空会社だ。

東南アジアの拠点空港であるシンガポールチャンギ空港は発着便の4分の1を格安航空便が占めている。

最近、

生まれ変わる首都圏の空港

生まれ変わる首都圏の空港

を読み始めていますが、今後の航空業界は、「安い」「便利」ということがキーワードにならざるを得ないという印象を、読みながら受けています。便利さということでは、遠い成田より近い羽田が便利、ということになるのは必然で、安い、ということでは、既存の割高な航空会社よりも格安航空会社、ということになるのが自然の流れでしょう。JALも、固有の問題点が厳しく指摘されすぎている面がありますが、航空会社を巡る環境の変化、世界的な不況の中で、既存の航空会社が企業として収益をあげることが難しくなっていることを象徴するのが、倒産寸前という現状と見るべきではないかと思います。その点では、ANAも、JALから流れた客を拾って一息ついているだけ、とも言え、安閑としてはいられないでしょう。
関西の3空港(関西、伊丹、神戸)を、今後、どうするかという問題など、課題山積という状態ですが、単にJALが何とかなれば良い、という問題ではなく、真に国民のためになり国益を増進させる航空政策というものが、今こそ強く求められているという気がします。

<無断引用>我妻氏「民法」を大原学園が教材に 遺族が提訴

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100107-00000085-mai-soci

全3巻の「民法」は54年に出版され、法学生の入門書として広く使われている。
提訴は09年12月18日付。訴状などによると、大原学園は06年以降、講座に使う「民法テキスト1、2」に、「民法」第1巻の約3分の2を無断引用しており、遺族が引き継いだ著作権を侵害し、故人の名誉を傷付けたと主張している。

おそらく、「ダットサン」と呼ばれ司法試験を志した人なら知らぬ者はいない(?)、あの名著が問題になっているのでしょう。私自身も、択一試験に合格する頃までは、よく読んでいたものでした。今でも無断引用されるというのは、それだけの価値があるということであり、虎は死して皮を留め人は死して名を残す、という言葉が思い出されます。
とは言え、こうした無断引用、パクリは、司法試験予備校等で、過去に問題になったこともあり、一種の悪弊として、根絶されるべきものでしょう。

未成年者の飲酒による事故

http://d.hatena.ne.jp/takanawa2009/20100111

このエントリーで取り上げられている記事にある事故は、私もニュースで読みましたが、以前、同様の事故直後の現場を見たことがあったので、非常に生々しく感じられました。

地下鉄の人身事故現場
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20050209#1107959946

本ブログでも、過去に同様の事故について触れたことがありました。

電車接触で重体の男性死亡
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20081211#1228963158

駅員も、こうした乗客には注意しているはずですが、目が行き届かないこともあるはずで、どこかの知らない人がホームで酔っぱらってうろうろしていたら、注意して見て、電車が入ってくる際には身体を支えてあげるといったことも、状況に応じやってあげなければ、と改めて思いました。

最高裁の入力ミス新たに19件 量刑検索データ誤入力問題で

http://d.hatena.ne.jp/bo2neta/20100109#p2

今回の問題が生じた後も,来た指示は「入力を確認せよ」だけで,システム自体の検証や問題点,改良点の求意見はなかったですよね。それともこれから来るはずだったのでしょうか?
こういう事で労力を使われることが,組織全体にどういう影響を持つのかしっかり考えて欲しい。使いやすいインターフェイスでミスが起きにくい「システムに」するだけで,裁判官の労力を前向きな職務に振り向けられるのです。「誰がミスしたのか」ではなく,「ミスは起きるものだ」という前提に立って,「誰でも余り苦労せずにかつミスせずに済むシステム」を考えて下さい。

悲痛な叫びのようになっていて、読んでいて気の毒ですね。どういうシステムになっているのか、部外者にはよくわかりませんが、かなり使いにくく、間違いやすい、ややこしいシステムになっているようです。これでは今後が思いやられます。
上記のエントリーの中で、

入力要素も通常の量刑判断の道筋に必ずしも沿っていないので,「入力のために」事件を見直さないといけない。

とありますが、量刑事情というものは、こういったデータベース化するとなると、評価がなかなか難しいものになるはずで、せめて、通常の量刑判断の道筋にできるだけ沿ったものにしておく必要はあったでしょう。そこが、「沿っていない」というのは、システムを開発する際、現場の意見がきちんと反映されていなかった可能性が高いという印象を受けます。
さらに言えば、データベース化にあたり、事件の諸要素が正しく入力されなくなっている恐れもあって、どこまで信用して良いのか、参考になるのかという本質的なところでも疑問が生じかねないでしょう。