駐車違反『標章』外し5万円 麻布署巡査長を逮捕

http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20041030/mng_____sya_____010.shtml

一九八〇年に採用され、九六年二月から麻布署に勤務。昨年九月、男性と知り合い、男性が経営する飲食店でただで飲食していた。捜査二課は癒着の風評に基づき捜査を進め、贈賄容疑で男性からも事情を聴いている。

麻布署管内は、六本木もあるし、誘惑が多いところではあります。警察は、検察庁とか裁判所にくらべて(相対的に、ですが)、こういった身内の犯罪には厳しく対処しているという印象を受けます。

私が司法試験に合格するまで(その5)

大学3年生の時に、初めて択一試験に合格し、論文試験を受験することができたことにより、論文試験までの受験生の過ごし方というものを体験できたのは有意義であった。また、論文試験会場の独特の雰囲気、緊張感というものを体験できたことも大きかった。自分として、ある程度勉強が進んでいる科目と、そうでない科目が明確になり(論文試験の成績通知も非常に参考になった)、やるべきことが明確になったという思いが強く、3年生の時の論文試験の後は、明確になったことに基づいて計画を立て、勉強することにした。
私の場合、在学中の5年目か6年目に合格できればよい、と、内心では思っていた。昭和60年から61年の当時は、4年生で合格する人は極めて少なく、当時の状況では、4年生で合格するには絶対的な時間が少ない、というのが切実な実感としてあった。ただ、4年生の時に、なんとか、ぎりぎりで最終合格ラインに到達できる程度にまでは、準備をして、「勝負」できる程度にまではしておきたい、と強く思っていた。
民法、商法の勉強が、あまり進んでいなかったので、できるだけ時間をかけ、分量に負けないように勉強するようにした。当時、辰巳法律研究所で講師をされていた近藤仁一先生が、「刑法は、ある程度センスがないと点が伸びないが、民法は、時間をかけるほど点が伸びる」といった趣旨のことを言われているのを当時聞いて、心強く思った記憶があるが、確かに、時間をかけて勉強すると、次第に答練等でも、良い点がもらえるようになってきた。
憲法民法、刑法は、3年生の択一直後から受講していた伊藤真先生の「論文合格講座」で、予習復習、基本書(私の場合、憲法佐藤幸治、刑法は大塚、民法は紆余曲折を経て有斐閣双書)の精読を励行して、併せて答練へ参加する、という勉強を続けた。
商法の中で、会社法は、予備校で出しているテープを聴いたり、基本書(私の場合、当時の受験生が多く使用していた鈴木・会社法になじめず、有斐閣双書の会社法を使った)を読んだりした。手形小切手法は、司法修習生の方に指導していただいたゼミで、有斐閣双書を使用して交付契約説(当時の受験界では創造説が全盛だったが)で勉強していたので、双書を読みながら論点を整理する、といった勉強をしていた。
刑事訴訟法は、田宮説で勉強したかったが、当時は、まだ田宮先生の教科書が出ていなかったので、田宮先生の「刑事訴訟法入門」

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9830804151

を読んだり(この本は、現在、書店では買えないようであるが、わかりやすくて良い本だった)、予備校のテキストを読んだりしながら、論点を整理するような勉強をしていた。一冊、教科書を読んでいないと不安な気がして、平野先生の刑事訴訟法

法律学全集 43 (43)

を通して読み、非常に参考になった。出版された後、改訂されていないため、新しい論点には触れられておらず、補充は必要であったが、弾劾的捜査観や、訴因と公訴事実など、刑事訴訟法の根幹部分についての考え方がシンプルにまとめられていて、今でも「名著」だと思う。ロースクール生にも、是非読んでもらいたい1冊である。
当時は、両訴訟法が必須ではなく、法律選択科目の中から、訴訟法以外の科目を選択することができ、私は、興味を持って勉強できそうな刑事政策を選択した。興味はあったが、とにかく、他の法律科目の勉強に時間をとられて、なかなか勉強時間が取れなかった。早稲田司法試験セミナーで、講師の小塚先生が、刑事政策の集中講義をされたときのテープが入手できたので、講義や答練が休みになった年末年始に、下宿先にこもり、テープを聴きながら、講義内容を反訳する方法でノートを作り(今ならとてもできないが、当時は必死だった)、その後は、そのノートをベースにして、いろいろな資料を加えたりして、それをもとに勉強していた。
教養選択科目(当時は、まだあった)は、社会政策を選択したが、とても勉強できる時間はなく、これは、論文本試験前に、「演習ノート社会政策」といった本を、予想論点を参考にしながらざっと読んだ程度しか勉強できなかった。そういう勉強しかしていないのに、4年生の時に受けた論文試験では、2問中1問が、社会政策の試験が始まる直前まで本で読んでいたところで、「運」というものがあることを痛感した記憶がある。

(続く)

司法研修所の機能及び重要性について

いろいろなブログとか、このブログのコメントなどを見ていると、司法研修所の機能や重要性に対する認識が薄いのではないかと思われるものが散見されます。司法研修所が果たしてきた、また、現在果たしている機能について理解した上で、廃止とか縮小を唱えるのは、もちろん一つの考え方ですが、理解しいないまま論じるのはどうか、と思います。
司法試験受験生にとっては、司法試験というものが最大の関門であるという意識が強く(それはそれで当然ですが)、合格後は、司法試験レベルの知識で当然実務家になれるような感覚を持っている人が多いと思いますが、それは間違いです。司法試験で試されているものは、あくまでも基本的な法律に関する知識や法解釈能力、といったものであり、それで実務家としてやって行けるほど甘いものではありません。
司法研修所で行われている教育については、ここで一口に説明するのは困難ですが、民事裁判、刑事裁判、検察、民事弁護、刑事弁護の各科目について、各クラス(私のころは1クラス50名弱でしたが、今は80名前後くらいになっているようです)に専任の教官(現役の裁判官、検察官及び弁護士)がつき、証拠の評価、事実認定、事実関係の整理、起案の方法といったことのほか、交互尋問とか模擬裁判といったこともカリキュラムの中に組み入れられています。司法研修所で行われる集合教育(前期、後期)の間に、日本各地で行われる実務修習があり、裁判所、検察庁弁護士会で、各地の指導担当者の下で、現実の事件を通じて、個別の指導を受けます。
私の経験でも、2年間(現在は1年6か月で、今後は1年に短縮の予定ですが)の司法修習の中で学んだことには多大なものがあると思います。また、司法研修所が、戦後の50年以上の歴史の中で(同様の機能を持った機関は戦前からあったようですが)、蓄積してきた法曹教育のノウハウにも、多大なものがあり、ロースクールとは比べものにならないと思います。
合格者が増大した後の、1年制の司法修習では、現行の修習の内容を見直して、増大した人員に対応できるようにすべく、現在、関係当局で検討が行われているようですが、見直しを行っても、指導担当者の人数とか、実務修習地の受け入れ態勢(指導するほうは、本来の自分の仕事をしながら指導もするわけで、自ずと限界があります)などの問題は必ずついて回るので、3000名を大きく上回る修習生の受け入れというのは、おそらく、極めて困難でしょう。
これだけ手厚い司法研修所教育を行っても、残念ながら、質の良くない法律家(特に弁護士)というのは、現実に出ており、司法研修所教育を廃止したり、その教育機能が維持できないほど縮小したりすれば、実務法曹の大幅な質の低下といった深刻な問題が発生する恐れがあります。
「そこはロースクールで代替すればよいではないか」といった声が聞こえてきそうですが、学生に、司法試験に合格できるだけの基本的な法律知識や法解釈能力などを身につけさせるというところで、既に四苦八苦しているような現状を見ていると、司法研修所に代替することは、10年後、20年後(その時にロースクールがあると仮定してですが)はともかく、当面は無理と言うしかないでしょう。
合格者の人数を一定のところで限るというと、既存の法曹が既得権にしがみついているのではないか、とか、市場原理に委ねれば良いのではないか、といった意見が出て、まったくの的外れな意見とまでは思いませんが、司法研修所教育という側面からの限界があることや、それなりの教育を行った上で実務法曹として世に出る態勢を作っておかないと、質の悪い法曹が「市場」で淘汰される過程において、多数の国民が深刻な被害を受けるといった耐え難いことが生じる恐れもあることは指摘しておきたいと思います(そういう中で質の悪い法曹は淘汰はされるわけですから、市場原理に従って物事は動くわけですが)。

東京・世田谷で子供の誘拐装った恐喝電話相次ぐ

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20041030AT1G2901K30102004.html

母親が出たところ、女子生徒を装った泣き声の直後、男が生徒の名を告げて「誘拐した。500万円振り込まないとニュージャージーに売り飛ばす」と脅した。

なぜ、ニュージャージーなのか?と思いますが、いきなり言われたほうとしては、そういう疑念が浮かぶ余裕はないのでしょう。十分注意したいものです。

女性誌記事に雅子さま「心外」 東宮大夫、会見で

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041030-00000020-san-soci

記事は、皇后さまが誕生日(今月二十日)に出された宮内記者会の質問への文書回答について、静養中の雅子さまに対する叱責(しっせき)である、との英・タイムズ紙の見解を紹介している。
 林田東宮大夫は、皇后さまが「私だけでなく、家族の皆が、回復を願い、助けになりたいと望んでいます」と回答されていることなどについて、「妃殿下はありがたく思い、二十日に皇后陛下にお会いした際にもお礼を言われた」と語った。

私も、皇后陛下の文書回答を雑誌で読みましたが、雅子妃殿下へのお言葉も、どう見ても「叱責」という色彩はなかったですね。

俺の後ろに立つな 「ゴルゴ13」     

http://www.be.asahi.com/20041009/W21/0001.html

多くの読者が、ゴルゴと聞いて思い浮かべるのが「俺の後ろに立つな」という言葉だという。

依頼者とは2度会わない、依頼者の裏切りは許さない、などなど、ゴルゴ13独特のルールはいろいろあります。コンタクトの方法にも独特なものがあります。
コイン1個で瀕死の少年から依頼されて、キッシンジャー国務長官を暗殺から救ったこともあり、お金だけでは動かないことも、絶大な人気を誇る理由の一つでしょう。
私も、大学受験中のころから愛読しています。

シティバンクPB部門元幹部、香港上海銀に転職 公表前

http://www.asahi.com/business/update/1027/066.html

シティバンクの関係者によると「閉鎖になるPB部門から元本部長を頼って再就職を考えている行員もいるようだ」という。

ウイルスの宿主が、前歴を隠して他へ移った、というところでしょう。宿主からの感染者が、大挙して移動する動きがあるようですから、要注意です。「HSBC 危険」という言葉を、頭の中に刻みこんでおく必要があるでしょう。