私が司法試験に合格するまで(その5)

大学3年生の時に、初めて択一試験に合格し、論文試験を受験することができたことにより、論文試験までの受験生の過ごし方というものを体験できたのは有意義であった。また、論文試験会場の独特の雰囲気、緊張感というものを体験できたことも大きかった。自分として、ある程度勉強が進んでいる科目と、そうでない科目が明確になり(論文試験の成績通知も非常に参考になった)、やるべきことが明確になったという思いが強く、3年生の時の論文試験の後は、明確になったことに基づいて計画を立て、勉強することにした。
私の場合、在学中の5年目か6年目に合格できればよい、と、内心では思っていた。昭和60年から61年の当時は、4年生で合格する人は極めて少なく、当時の状況では、4年生で合格するには絶対的な時間が少ない、というのが切実な実感としてあった。ただ、4年生の時に、なんとか、ぎりぎりで最終合格ラインに到達できる程度にまでは、準備をして、「勝負」できる程度にまではしておきたい、と強く思っていた。
民法、商法の勉強が、あまり進んでいなかったので、できるだけ時間をかけ、分量に負けないように勉強するようにした。当時、辰巳法律研究所で講師をされていた近藤仁一先生が、「刑法は、ある程度センスがないと点が伸びないが、民法は、時間をかけるほど点が伸びる」といった趣旨のことを言われているのを当時聞いて、心強く思った記憶があるが、確かに、時間をかけて勉強すると、次第に答練等でも、良い点がもらえるようになってきた。
憲法民法、刑法は、3年生の択一直後から受講していた伊藤真先生の「論文合格講座」で、予習復習、基本書(私の場合、憲法佐藤幸治、刑法は大塚、民法は紆余曲折を経て有斐閣双書)の精読を励行して、併せて答練へ参加する、という勉強を続けた。
商法の中で、会社法は、予備校で出しているテープを聴いたり、基本書(私の場合、当時の受験生が多く使用していた鈴木・会社法になじめず、有斐閣双書の会社法を使った)を読んだりした。手形小切手法は、司法修習生の方に指導していただいたゼミで、有斐閣双書を使用して交付契約説(当時の受験界では創造説が全盛だったが)で勉強していたので、双書を読みながら論点を整理する、といった勉強をしていた。
刑事訴訟法は、田宮説で勉強したかったが、当時は、まだ田宮先生の教科書が出ていなかったので、田宮先生の「刑事訴訟法入門」

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9830804151

を読んだり(この本は、現在、書店では買えないようであるが、わかりやすくて良い本だった)、予備校のテキストを読んだりしながら、論点を整理するような勉強をしていた。一冊、教科書を読んでいないと不安な気がして、平野先生の刑事訴訟法

法律学全集 43 (43)

を通して読み、非常に参考になった。出版された後、改訂されていないため、新しい論点には触れられておらず、補充は必要であったが、弾劾的捜査観や、訴因と公訴事実など、刑事訴訟法の根幹部分についての考え方がシンプルにまとめられていて、今でも「名著」だと思う。ロースクール生にも、是非読んでもらいたい1冊である。
当時は、両訴訟法が必須ではなく、法律選択科目の中から、訴訟法以外の科目を選択することができ、私は、興味を持って勉強できそうな刑事政策を選択した。興味はあったが、とにかく、他の法律科目の勉強に時間をとられて、なかなか勉強時間が取れなかった。早稲田司法試験セミナーで、講師の小塚先生が、刑事政策の集中講義をされたときのテープが入手できたので、講義や答練が休みになった年末年始に、下宿先にこもり、テープを聴きながら、講義内容を反訳する方法でノートを作り(今ならとてもできないが、当時は必死だった)、その後は、そのノートをベースにして、いろいろな資料を加えたりして、それをもとに勉強していた。
教養選択科目(当時は、まだあった)は、社会政策を選択したが、とても勉強できる時間はなく、これは、論文本試験前に、「演習ノート社会政策」といった本を、予想論点を参考にしながらざっと読んだ程度しか勉強できなかった。そういう勉強しかしていないのに、4年生の時に受けた論文試験では、2問中1問が、社会政策の試験が始まる直前まで本で読んでいたところで、「運」というものがあることを痛感した記憶がある。

(続く)