週刊朝日が休刊し、AERAが残った理由「3年後にあるのは文春だけ」限界に到達した週刊誌から悲鳴…日本から雑誌消滅へ

週刊朝日が休刊し、AERAが残った理由「3年後にあるのは文春だけ」限界に到達した週刊誌から悲鳴…日本から雑誌消滅へ(みんかぶマガジン) - Yahoo!ニュース

週刊朝日が休刊にーー。1922年に創刊し、昨年2月に創刊100年を迎えた週刊朝日が、休刊になることが、朝日新聞デジタルで発表された。同報道によれば、「週刊誌市場が縮小するなか、今後はウェブのニュースサイト『AERA dot.』や書籍部門に、より一層注力していく判断をしました」(朝日新聞出版の談話)のだという。

2021年の「出版物販売額の実態」(PDF版・日販)によれば、「雑誌(紙)」の販売額は、2006年比で58.6%減と壊滅的な減少を示している。  2015年に5960億円あった販売額は毎年500億円程度の売上減で、最新データの2020年では3582億円となっている。このまま500億円ずつ減少していけば、「2027年には雑誌の売上はゼロ」になる計算だ。

私自身は、今でも複数の雑誌を、電子版も含め購読していて、その中に週刊朝日もあるのですが、そういう私も、インターネットが普及する以前は、金曜日の仕事帰りにコンビニで雑誌を数冊買い込んで、週末、自宅で読んでいたのは、今ではそういうことはしなくなりました。インターネットで様々な記事が読めるようになり、その分、雑誌が読まれなくなっていることは実感としてわかります。

ただ、単純に無料の情報は質が悪い、有料の情報は良質、と割り切れないにしても、有料での情報の出し手が減れば、それだけ、きちんとコストをかけた情報の収集、分析、提供の担い手が減ることにつながりますから、長期的には我々が入手できる情報の質の低下につながるでしょう。最近、よく言われる「コタツ記事」のように、手間をかけずに垂れ流す情報には手間がかかりませんが、良質な情報の提供には手間も費用もかかるものです。

私自身が感覚的に感じるのは、出版社が共同でポータルサイト的なサイトを運営し、そこでの記事は有料でないと読めないようにして、読者は、網羅的に一覧できる記事の中から、読みたい記事を有料で読む、利用料に応じて読める記事の本数を決めておくとか、読み放題会員を設ける(例えば月額3万円払えば読み放題とか)といった、思い切って踏み込んだ対策を講じないと、このままジリ貧状態で衰えていくだけではないかと思います。

 

日本維新の会の前川清成衆議院議員に罰金30万円の有罪判決 公選法違反 前川被告は控訴へ 奈良地裁

日本維新の会の前川清成衆議院議員に罰金30万円の有罪判決 公選法違反 前川被告は控訴へ 奈良地裁(読売テレビ) - Yahoo!ニュース

一昨年10月に行われた衆院選の公示前に「選挙区は前川きよしげ」などと記載したはがきが入った封筒を出身大学の卒業生らに送り、投票を呼びかけた罪に問われていました。

奈良地裁は、この日の判決で、「関西大学卒業ということを除けば、被告人と全く接点のない人だったというほかなく、ポスターの掲示までをも期待する集団とは到底いえない」として、罰金30万円の有罪判決を言い渡しました。

選挙の際の法定のハガキを、公示(告示)後になって宛名書きを依頼していては投票までに間に合いませんから、事前に、選挙の準備行為として依頼することは、準備行為としては認められますが、それはあくまで特定少数の、支持者であることが明らかな人々に対してのものに限定され、不特定であったり多数であったりして、支持者であるかどうかも不明な人々へのものであれば、もはや準備行為を逸脱してしまうと言えるでしょう。

証拠を見ていないので断定は差し控えますが、本件の場合、送付先がかなり多数に及んでいたようであり、特定少数に対する準備行為と評価するのは困難な側面が強かったように思われます。

選挙違反に該当するかどうかは、実態、実質に即して判断されるものなので、形式、名目に引きずられて暴走するのはリスクが高く、そこは慎重に臨む必要があると思います。

「お市の方の生涯 「天下一の美人」と娘たちの知られざる政治権力の実像」

 

出たばかりの本書の存在を知り、早速、読んでみました。

著者の本は、最近、

を読んだばかりですが、史料、特に良質と考えられる史料に基づいて史実を構築しようとする姿勢が私好みで(証拠に基づいて真相を認定しようとすることと共通するものを感じます)、「お市の方」のほうも丹念に読みました。

江戸時代になって書かれた史料中の、真相に近いと思われるもの、そうとは考えにくいものの振り分けもされていて、参考になるものを感じました。

著者は、柴田勝家とともに自害したお市の方の心情について、現代的な夫婦愛といったこととは違うと指摘していて、戦国時代の武家の女性の考え方、生き方、死に方といったことは、当時のものとして考えないと見方を誤るということを感じさせられました。

NHK大河ドラマ「どうする家康」でも、今後、お市の方が登場するようですが、鑑賞していく上で、背景がよりよくわかるようになって、観ていくのが楽しみです。

 

初代が発売されたのは2010年!歴代「iPad」全モデルの発売日を振り返る

初代が発売されたのは2010年!歴代「iPad」全モデルの発売日を振り返る|@DIME アットダイム

初代iPadは、9.7インチディスプレイで、当時はお馴染みだったホームボタンを搭載。ストレージ容量は16GB、32GB、64GBの3モデル構成。搭載チップセットはA4プロセッサというもので、Wi-Fi+Cellularモデルは、データ通信は3Gのみの対応でした。

こうして記事で読むと、iPadの変遷、進化がよくわかり感慨深いものがありますね。

私が初代iPadを入手したのは、日本での発売前で、海外で発売されたものが確かヤフオクで出ていて、それを買った記憶があります。まだ珍しくて、ありこちで見せびらかしていたのが懐かしいです。

現在は、第6世代iPad miniと11インチiPad Pro(2018)を使用していますが、iPad Proは丸4年使っているので、そろそろ買い替えかなと考えているところです。ただ、元々の性能が良いので使っていて不満も不便もなく、買い替えのモチベーションが湧きにくいものがあります。そういうところがiPadの良さでもあるのでしょう。

 

iPad(第10世代)とiPad miniどっちを選ぶ?似た性能をもつ2つの「絶妙に異なる点」を徹底比較

iPad(第10世代)とiPad miniどっちを選ぶ?似た性能をもつ2つの「絶妙に異なる点」を徹底比較(ライフハッカー・ジャパン) - Yahoo!ニュース

これら2つのタブレットの最大の違いは、ディスプレイの大きさです。iPad(第10世代)と比較すると、iPad miniの画面サイズは8.3インチと小さくなっています。

私の場合、iPad miniは、電子書籍を読む上で絶妙にジャストサイズで、とても便利に感じながら使っています。その前は、10インチ、11インチ程度のiPad電子書籍を読んでいたこともありましたが、手で持っていると手が疲れてきていて、その点、iPad miniは軽いので、手で持って電子書籍を読んでいても手が疲れません。やはり、特に、主に何に使うかは選択する上で重要でしょう。

11インチiPad Pro(2018)は、現状、事務所のiMacの脇に置いて、ウェブ会議で使ったり、ちょこちょことツイッターやインスタグラムを見たりするのに使っていて、そういう使い方をする上では、iPad miniよりも11インチ程度あるほうが便利に感じています。

画面で1インチ、2インチ程度の差でも、使い方によって便利にもなり違和感も感じるものなので、いろいろと試してみた上で購入する必要があるように思います。

お買い得モデルはどれ?Apple Storeで買える最新の「iPad」シリーズをチェック

お買い得モデルはどれ?Apple Storeで買える最新の「iPad」シリーズをチェック|@DIME アットダイム

iPadシリーズには、「iPad Pro」「iPad Air」「iPad mini」といった、サイズ、性能の違う様々なラインアップが用意されているのが特徴。

iPadも、かつてはラインナップがシンプルでしたが、現在は上記のようにいろいろな種類が出ていて、それにしようかと迷いがちです。その意味でわかりやすい記事ですね。

選択のポイントとしては、まず、wifiモデルにするかセルラーモデルにするかがあるでしょう。ただ、地図アプリなどでセルラーモデルのほうが便利といった必要を除き、スマートフォンがあればそのテザリングiPadも使えますから、wifiモデルにして出費を抑えるのも賢い選択だと思います。私自身は、以前、セルラーモデルを使っていたこともありましたが、現在は、iPadwifiモデルで、特に困ることもありません。

そこを決めれば、あとは、予算、サイズ、機能で、自分に合ったものを選んでいくということになるでしょう。カラーも、特にこのカラーが好きといった選択も当然あり得ます。

iPadの基本性能は高く、結構、長く使えますから、気に入って使える、自分に合ったものを選択したいものです。

 

「華岡青洲の妻」

 

有吉佐和子による、かつての大ベストセラーで、前から読みたいと思っていたところ、オーディブルであったので、移動中に聴きました。

江戸時代の医師で麻酔を開発した華岡青洲の母や妻が、その身を以って麻酔の実験台になった、その前後における人間模様が丹念に描かれていて、こういった小説は滅多に読まない(聴かない)こともあって、華岡青洲の目標を達成させようとする家族の献身的な愛に、心打たれるものを感じました。

現代であれば、こうした人体事件は許されないことですが、医学の発展上、こうした身を犠牲にした献身があったことは、忘れられるべきではないでしょう。