<テレ朝>古賀氏降板問題 「圧力」か「暴走」か 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150406-00000005-mai-soci

3月27日の番組に出演した古賀氏は、古舘伊知郎キャスターから中東情勢へのコメントを求められた際に、テレビ朝日早河洋会長らの意向で降板に至ったと発言し、「菅(義偉)官房長官をはじめ官邸のみなさんにはものすごいバッシングを受けてきた」と語った。

このシーンを、私は、たまたま報道ステーションを見ていて目にしたのですが、最初は、一体、何が起きたのかという感じで唖然としたという印象でしたね。見ながら徐々に事態が飲み込めてきたという感じでした。
「圧力」があったのかなかったのか、事情はわかりませんが、ただ、権力が圧力をかける方法は、あからさまなもの以外にもいろいろとあって、例えば、「懇談」と称して記者を集めて、そこで、陰に陽に特定の対象を快く思っていないことをそれとなく言えば、記者は所属する組織に持ち帰って「ご注進」に及ぶ、それを見越して権力側が発言する、といったことはいくらでもあるものです。それを圧力と捉えた場合に、許認可を受けて、といった事情がないマスメディアであればそういう圧力に対しそれなりに抵抗力があっても、公共のものとされている電波を使っている(使わせてもらっている)メディアであれば、どうしても圧力には弱くなってしまうでしょう。田中角栄元首相がロッキード事件で逮捕、起訴され、保釈された際に、当時のNHK会長は田中邸にお見舞いかなにかわかりませんがわざわざ訪問に行って、さすがに世間の批判を浴びて辞任に追い込まれましたが、電波系メディアの権力に対する腰の引け具合、おもねり具合を象徴する出来事として思い出されるものがあります。
自民党のメディア対策は進んでいて、SNS等を駆使したり、気に入らない報道があると文書で抗議したりと、硬軟取り混ぜて対策を進めていて、その中に、社会常識的に言って政権党が行えば表現の自由に対する「圧力」になるものもあるのではないか、かつては、政権党はそういうことはしないものと考えて自制し行っていなかったことが今はなりふり構わず行われるようになっているのではないか、ということも、良識のある国民であれば考えてみるべき余地もあるように思います。
ただ、私は、古賀氏のあの場面でのあの発言も、公共の電波を周囲に断ることなく自己主張の場として利用した点で問題があったと思いますし、そういう発言は、自らが管理する場(ブログ等)においてすべきであったと感じています。言論で世に立とうとする者であれば、言論の行使方法も見識ある、常識に沿ったものであるべきでしょう。
まとまりませんが、以上が私のこの件に関する感想です。