美濃加茂市長に無罪判決――なぜ検察は「敗北」したのか?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150305-00002779-bengocom-soci

弁護士ドットコムに依頼されて、判決当日にコメントしたものでした。

「判決についてこれまでに接することができた情報によると、無罪になった理由は、贈賄したとされる人物の供述に、裁判所が強い疑問を持ち、証言の信用性を全面的に否定したことによるものと考えられます」

「判決は、供述の不自然さ、不合理さを、さまざまな点において指摘しています。
当初は、現金授受の場に同席した人物がいたと供述していなかったのに、後からそう供述するようになったことなど、捜査段階から公判段階に至るまでの『供述の変遷』が、相当に問題視されています。
法廷において、贈賄側の供述を裁判官が聞き、その供述態度も含めてかなり疑問があるという心証を得たことには、かなり重いものがあったと言うべきでしょう」

「今回の判決は、事件の証拠について『有罪の根拠にできない』とする、種々の問題点を説得的に指摘しています。
今後、もし名古屋地検が控訴したとしても、逆転有罪判決が得られるのか、疑問を感じます。
ただ、これは、高裁の裁判官が、この事件の証拠をどう評価するかにもかかっています」

「今後、無罪判決が確定すれば、捜査機関が贈収賄事件の捜査に及び腰になって、立件される事件が減少している最近の傾向に、さらに拍車がかかる可能性が高いのではないかと思います。
捜査能力を向上させる努力が求められるとともに、たとえば外国で行われているような『おとり捜査による立件』を可能にするなど、贈収賄事件の捜査や立件の手法も、抜本的に見直すべき時期に来ているのかもしれません」

判決前は、私自身、それまでに取材、報道を通じて入ってきていた公判情報から、これは有罪になるのではないかという印象を受けていました。しかし、判決で語られた内容を見ていると、裁判所が、特に贈賄したとされる人物の供述(供述そのものだけでなく供述経過も含め)を、徹底的に踏み込んで検討していることがよくわかり、かつ、指摘しているのは、従来、供述の信用性評価にあたっての踏むべきポイントをきちんと踏んでのことで、ここまでネガティブな心証しか与えられていなかったのであれば無罪は当然だろうと、率直に感じました。そういう印象が、今後の控訴審での逆転は難しかろうという見通しへとつながっています。
収賄の捜査は、贈賄側の供述をいかに確保するかにかかっていて、その出し方が非常に難しいものですし、供述が出るだけでなく、いかに信用性のある供述を、裏付けも取りながら確保するかが問われ、知能犯捜査の中でも最も難易度が高いといっても過言ではありません。取調べに対する国民、裁判所の目がますます厳しくなり、取調べ可視化の流れも進む中で、従来型の、「叩いて自白させる」的な捜査は曲がり角に来ていると思います。美濃加茂市長が取調官にはな垂れ小僧呼ばわりされた、といった話が話題になっていましたが、高圧的に臨み叩いて自白をもぎ取ろうとする、従来型の捜査の行き詰まりを象徴するエピソードではないかと思います。
私自身、贈収賄事件の捜査経験、公判に立ち会った経験があり、この事件の有罪、無罪の行方だけでなく、社会の腐敗を防止するための贈収賄事件捜査の適正な在り方や今後の改革といったことについても考えさせられました。捜査関係者は、事件がこういった思いがけない展開をたどった際に、単に、裁判所が悪い、弁護士が悪いと文句を言って終わりにするのではなく、捜査の問題点に真摯に目を向け今後に生かす必要があると思います。