<正義はどこに>証拠は誰のもの?(2) 記録の送致、曖昧な基準

http://www.at-s.com/news/detail/1174165237.html

刑事訴訟法は、警察官は〈速やかに書類および証拠物とともに事件を検察官に送致しなければならない〉としている。
なぜ今になって、静岡県警からネガやテープが出てきたのか。

静岡大人文社会科学部の神馬幸一准教授によると、法的には警察に証拠や記録の全件送致義務はない。膨大な量に上るからだ。一方で、被疑者・被告人にとって有利な証拠が隠される―との懸念にも理解を示す。

私は、検察官としての捜査経験が通算で9年余りありますが、警察から検察庁に送られない証拠は、結構ある、という認識を、在職中から持っていましたね。検察官としては、これだけの証拠関係、証拠構造なら起訴して有罪に持ち込めるという見通しが立てられるかどうか、という視点で捜査していて、それを、警察が、起訴されなくなる可能性があるから隠す、送らないという証拠があっては正しい見通しが立てられないからまずい、とは考えても、被告人や弁護人に否認や弁解の「ネタ」を与えるような、敵に塩を送るような証拠がことごとく検察官の手元に集中していなければならないという発想は持たないものです。過去の、証拠開示に関する各種裁判例も、「検察官手持ち」証拠に関するものとしていて、検察官の手元にない証拠は対象としておらず(検察官が警察から取り寄せれば「手持ち」証拠になりますが、ないと言われればそれまでです)、上記の記事にもあるように、そもそも、刑事訴訟法上、警察が、「すべての」証拠を検察庁に送らなくてはならないという規定になっていないので、結局、従来の証拠開示に関する議論は、警察という一種のブラックボックスのようなところに大事なものが潜在していることをスルーした状態でされてきた面が強いと言えるでしょう。
警察は、まずい供述調書が取れてしまうと、シュレッダーにかけて捨てたりもするもので、収集した証拠をきっちり保存しておこうという発想が、全くないとは言いませんが、その点でかなりムラがあって、だからこそ、大事な証拠がゴミと一緒に捨てられたり捜査員の家に山積みになって、といったことが起きていると言っても過言ではないでしょう。
捜査過程で収集された証拠が、途中で恣意的に捨てられたり隠されたり行方不明になったりしないように、警察捜査段階からきっちりと記録、保存され、将来、関係者がアクセスできるような、抜本的な改革を行わないと、真相と離れたところで刑事処分が決まり誤った処分が是正されないという不正義が今後も繰り返されてしまうと思います。
この辺は、頭でっかちで実務を知らない、偉い(?)学者の頓珍漢な議論やそういう学者を手玉に取って自分たちに有利に議論を進めようとする法務・検察当局の思惑だけで物事を決めてしまうのではなく、幅広く有為な人材を投入して議論し、真に国民のためになる刑事訴訟法、刑事手続になるよう、適正に議論が進められるべきです。