<広島地検>遺棄致死事件でも取り調べメモ廃棄

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101020-00000004-mai-soci

弁護人によると、公判前整理が続いていた今年4月、供述の任意性を問うため取り調べメモの開示を請求したところ、地検から「廃棄済みで存在しない」と回答があった。目撃者の証言メモも同様の回答だったという。弁護側は公判でも供述の任意性を争う構えで、メモの廃棄について「裁判員に疑念を抱かせる行為だ」と批判している。
広島地検は「必要ないと判断したメモは適切に廃棄している」としている。

前にもブログで書いたことがあるような気がしますが、私の場合、一般事件用に、普通の大学ノートを用意しそれに取調べの状況を書いて、書き切ったら新しいノートを使い、書き切ったノートは保存していました。大きな事件や独自捜査の事件では、別に専用のノートを作り、そこに取調べ状況を書いていました。いずれの場合も、取調べ状況だけでなく、捜査の過程において必要な情報を、都度、書き留めてもいた記憶があります。こうして保存したノートは、事件が判決まで出て確定するまでくらいは保存していて、平成7年から平成8年にかけて東京地検オウム真理教関係でかなり多数の被疑者、参考人を取り調べたことについては、その後、平成9年に静岡地検に異動してからも、時々、東京高検等の公判担当検事から問い合わせがあり、そういう時は、保存しているノートを見て回答していました。
簡単な取調べなら、メモなしで、聞き取ったことを即座に証拠化する、ということができますが、それなりに込み入った事情があれば、メモもとらずに供述調書を作成するのは無理です。
こうして、取調べメモを保管しておくのは、取調べ官として、実態をきちんと説明するために必要であるからこそのことで、難しい事件、争いが生じがちな事件であればあるほど、適正な取調べを行っていればいるほど、必要性が高いものです。そういった必要性が高い類型であるにもかかわらず、必要ではないなどと称して廃棄してしまっていれば、取調べメモが存在していては取調べ官側にまずい事情があったという、強力な推定がはたらくと言っても過言ではないでしょう。裁判所としても、そういった目でこういった事態を厳しく見る必要が、今後ともあると思います。