集団的自衛権:「砂川判決は根拠ではない」礒崎首相補佐官

http://mainichi.jp/select/news/20140413k0000m010104000c.html

礒崎氏はまた、2001年の米同時多発テロの後にイギリスなどが集団的自衛権を行使し、米国とともにアフガニスタンを攻撃したことに触れ「日本はそういうことはしない」と指摘。そのうえで「(日本は)必要最小限度でしか個別的自衛権も行使できないので、遠くに行って戦争なんて絶対にしてはいけない」と述べ、集団的自衛権の行使が認められても、従来の憲法解釈の積み重ねにより行使できる範囲は限られるとの見通しを示した。

従来、政府が一貫して主張してきた憲法解釈では、行使できるのは個別的自衛権の範囲内であり、そのための必要最小限度の武力行使も「日本を防衛する」という明確な目的の下に限定されたものでした。しかし、一旦、集団的自衛権行使まで認めることになれば、それは

集団的自衛権―砂川判決のご都合解釈
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20140406#1396793731

でコメントしたように、「他の国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利」ですから、自国の防衛という枠は外れてしまうわけで、日本が武力行使をする上で、従来、厳格に限定してきた憲法上の制約は解かれてしまうことになります。「必要最小限度でしか個別的自衛権も行使できないので、遠くに行って戦争なんて絶対にしてはいけない」などといくら口では言っていても、個別的自衛権とは異なるステージへ足を踏み入れているわけですから、極めて危険なことになってしまいます。
そもそも集団的自衛権は、自国の防衛に関わらなくても他国が攻撃されたら助けてあげましょう、という、国際法上で新設された権利であり、日本は、憲法上の制約がありそれは行使できない、他の手段で国際貢献する、という路線を採ってきたもので、一旦、集団的自衛権の行使を容認すれば、その時々の国際情勢に翻弄されながらずるすると戦争に巻き込まれてしまうということになりかねないと危惧されます。集団的自衛権容認論者は、そこを、法律や国会の関与等で限定しようとするようですが、従来の、憲法上の制約に比べ、はるかに低い、緩い縛りでしかなくなってしまい、特に米国から、様々に圧力もかけられつつ共同した武力行使を強いられるといった事態も想定されます(近くの半島の寒い国を一緒に攻撃しよう、そうしないと日本の防衛に支障をきたしかねない、等々)。そして、一旦、集団的自衛権を行使すると宣言した以上、共同して対処する「敵」からは、集団的自衛権で括られた、一体となった「敵」でしかありませんから、日本全土が攻撃対象になる可能性、危険性は、個別的自衛権行使の枠内にある時よりも飛躍的に高まることになると思います。
従来の憲法解釈の積み重ね、ということを言うのであれば、日本の安全保障上、個別的自衛権の行使や警察権の行使(例えば離島に軍事活動にまで至らない武装住民が上陸するような事態には警察活動による検挙、排除といった方法もあるでしょう)といった、現行の法令やその改正で対応できるものは対処し、武力行使ができないところは他の手段で国際貢献する、それでどうしても対処しきれない点はどこまであるのか(撃ち落とせもしないミサイルを撃ち落とすといった机上の空論ではなく現実問題として)を、今一度、冷静な視点で整理してみる必要性を感じます。