クローズアップ2013:秘密保護法案 「定義」、行政裁量で 外部チェックのすべなく

http://mainichi.jp/select/news/20130914mog00m010001000c.html

「秘密」の内容を、厳罰を設けてまで秘密にするものかどうかのチェック機能はない。
米国では大統領が安全保障などに関する機密を指定する。だが、機密の指定と解除、さらに内容をチェックする仕組みが明確になっている。米国立公文書館にある情報保全監察局が適切な機密指定かどうかを見極める責務を負い、局長には機密の解除請求権が与えられている。
これに対して、今回の特定秘密保護法案では、防衛相や外相、警察庁長官らが指定し、解除の必要性も行政機関に委ねられている。外部チェックが想定されていないのだ。

この法案の最大の問題点はここでしょうね。この仕組みの下では、行政側が、秘密にしたいものを秘密に指定し、それに対する様々なアクセスを「厳罰」という威嚇により遮断することになり、アクセスの中には、取材など正当なものも多々含まれますが、一網打尽にブロックすることになって、国民による行政の持つ情報へのアクセスが阻まれるという、情報公開の流れに逆行する、秘密主義へと大きく舵を切ることになってしまいます。
取材の自由を尊重する、といった規定を盛り込んでも、単なるお題目に終わる可能性が高く、違法性、著しい不当性を持つ取材のみ処罰する、といった規定を設けても、どこまで行けば違法なのか、著しく不当なのか、大きな曖昧さがあり、正当な取材、情報に対するアクセスへ、大きな萎縮的効果を与える可能性が高いでしょう。
そもそも、「取材」とそうでないものとの線引きも、現在のように、例えば個人のブロガーが様々な情報収集をしてブログにアップするような時代においては明確には区別しがたく、区別できないままでの強権的なブロック、遮断は、大きな禍根を残すことになってしまいます。
秘密を出すべきでない側の、内部者に対する徹底した秘密保持対策や、必要かつ合理的な処罰規定があれば、それにくわえて、外部者へのことさらな処罰、それも厳罰が、そういった重大な問題を抱えてまで必要とは考えられませんし、考えるべきではないと思います。日本を、戦前、戦中のような、怯えながらの生活を強いられる、暗い、陰うつな国にしてはいけない、ということを、広く国民は認識しなければならないでしょう。