http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131003-OYT1T01575.htm?from=ylist
10年10月26〜29日、公安部の内部資料114点が複数のサイトに掲示され、同じ資料がファイル共有ソフト「ウィニー」にも流出。同庁は同12月、国際テロ捜査を担当する外事3課が保管する内部資料の可能性が高いと認め、個人情報が流出したイスラム教徒らに謝罪した。
同庁は警察内部の犯行の可能性が高いとみて同課や警察庁在籍者ら約400人から事情聴取。海外十数か国にも捜査員を派遣し、発信元の特定を進めてきた。
情けない話ですが、この事件や結末から教訓を読み取るとすれば、いくら機密保護を声高に叫んで漏えいに関する刑罰を重くしても、警視庁内部に深く浸透し検挙されないよう周到に犯行に及んだ、この事件の犯人のような人物にとっては、何ら抑止力にはならない、ということでしょう。そして、検挙されていない以上、警視庁公安部の持つ情報は、今現在も漏えいのリスクにさらされているということになります(犯人が検挙されていない以上、誰もそれを否定できないはずです)。
重要な機密が漏れてしまった後に、いくら厳罰を科すことができても、漏れてしまったものに取り返しがつくわけでもありません。厳罰、厳罰と、そこにばかり目を向けるのではなく、漏れてはいけない機密を持つ公的機関における防諜体制の強化、性善説に立つのではなく性悪説に立って、組織のトップやそれに近いポジションにある者であっても機密にアクセスする以上は防諜対策の対象にするといった徹底した体制の構築を徹底的に進めるべきです。
例えば、ある公的機関の幹部に機密漏えいの疑いが生じれば、使っている電話やインターネット、自宅内や使用車両、立ち回り先などを徹底的に監視下に置き必要に応じ通信傍受や盗聴も行う、ということは、現在の日本では到底できないことですが(やる主体も見当たりません)、そこまでできるような体制にならないと、機密漏えいを十分に防止することはできません。
それをしないまま、刑罰だけ重くしておけば米国から情報がもらえる、といった安易な進め方は、海外からの信頼を得ることを難しくし、今後も、新たな「警視庁公安部事件」のような事件を引き起こすことにつながりかねないでしょう。