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岡山県出身。1935年に東京帝大(現東京大)法学部を卒業。戦後の47年に同大教授となり、48年の刑事訴訟法策定などに関わった。以後、東大法学部長や法相の諮問機関・法制審議会の委員として、刑事法理論の確立や法改正に関与。74年10月に最高裁判事に就任した。83年11月に退官し、皇太子(現天皇)ご一家の相談役の東宮職参与に委嘱された。81年に日本学士院会員となり、95年に文化勲章を受けた。
私が、1983年(昭和58年)に早稲田大学法学部に入学して司法試験の勉強を始めた当時は、司法試験受験界の刑法は、団藤重光・大塚仁説で学ぶ人がとても多かったですね。基本書は大塚先生のものを使う人が多い状態でしたが、大塚説に依拠しつつ団藤説も適宜取り入れて学ぶ、という受験生が多かったと思います。団藤先生の本を基本書にしている人も、徐々に減ってはいましたが、まだ根強くいました。私も、大塚先生の本を基本書にしつつ団藤先生の本も持って、適宜参照していた記憶があります。人格責任、定型、等々、団藤説というと、頭の中にいろいろなキーワードが思い浮かびます。
法律家として、これ以上のものはないのではないか、という華麗な人生を歩まれた団藤先生でしたが、遂に最期の時が来てしまったな、と、感慨深いものがあります。団藤説で学ばせてもらったことを感謝しつつ、ご冥福をお祈りします。