揺れるミクシィ、SNSの「老舗」はなぜ間違えたのか

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK0503G_V00C12A6000000/

一方で、mixiでは大きな変更を行うたびに、ユーザーと摩擦が起こっていた。

フェイスブックが普及し始めた数年前、実名で出身大学や所属企業も明らかになるリアルなサービスは、匿名性が高い日本では流行らないとされた。その点、mixiはハンドルネームなど匿名も使えるなど、ゆるやかなサービスが特徴といえた。
そのゆるやかなつながりが、いつのまにか現実の「人と人」というつながりへと運営側に定義されていった。

フェイスブックへの過剰な対抗意識こそが、自らの強みを消し去ったといえるのではないだろうか。コミュニティ機能は、ビジネスライクなフェイスブックには存在しないユニークな機能であり、足あとは「いいね!」を代替していたともいえる。

ミクシィの退潮の原因を的確に指摘した、なかなか読ませる良い記事ですね。私も、この記事で指摘されていることと同感です。
今後も、フェイスブックのような、全世界で、様々な、膨大な人々が使うSNSが存在する一方で、各地のカルチャーをくみ取った、ドメスティックでユニークなSNSが存在し、併存する、ということになるのではないかと思います。人と人とのつながり、交流には、そういった、グローバルなものには収まりきらないものもあるでしょう。ミクシィの元々のサービスは、日本人や日本の文化が持つユニークさをうまく生かしたものでしたが、それが失われてきていることが、現在の退潮の最大の原因、ということを改めて強く感じます。
今からでも(もう遅いかもしれませんが)原点に回帰して、自らの元々持っていた強みを生かすという方向へ転換する必要があると思います。