陸山会事件が改めて提起した共謀の問題

先週、陸山会事件の判決があり、それについて、私も、マスコミ各社からいろいろと聞かれ、共同通信配信の記事で、

http://www.bitway.ne.jp/bunshun/ronten/ocn/sample/thisperson/110929.html

元検事の落合洋司弁護士は、「直接証拠が乏しい中、判決は『知っているはずだ』『怪しい』という推測を多用し、被告間の共謀関係など重要な部分を認定しており、背筋が凍るような思いだ。推定無罪が原則である刑事裁判の判決は、被告が無罪になる芽を丁寧に摘む必要があるのに考慮した形跡は見当たらない」と手厳しく批判する(東京新聞9月27日)。

というコメントが出たり、ジャパンタイムズでも、

http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20110928a3.html

"It was a complete victory for the prosecutors. The court basically acknowledged most of the prosecution's arguments," said lawyer Yoji Ochiai, a professor at Tokai University Law School and a former prosecutor. He was critical of what he termed the overemphasis by the prosecutors on motives behind the alleged false entries instead of dealing with facts to back up the charges.

というコメントも出て、本ブログでも

石川議員らに有罪=「裏献金」受領を認定―元秘書3人の共謀成立・陸山会事件判決
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20110926#1317049049

とコメントしました。
まだ、判決全文が出ておらず、コメントにも自ずと限界がありますが、現時点で、私は、この判決に、

1 上記のような共謀認定の在り方の問題
2 政治資金規正法違反の成否という問題を大きく超えて、様々な事情を「背景事情」と称して問題にすることの危うさ

といった問題があると感じています。
1については、上記のエントリーで、

従来の知能犯捜査、公判では、こういった共謀認定では、供述証拠が重視され、それがないとなかなか積極認定はされないのが通常でした。それが100パーセント正しいとまで言うつもりはありませんし、状況証拠の活用ということも検討すべきとは思いますが、この判決での裁判所による上記のような共謀認定は、状況証拠の危うさ、被告人や弁護人の主張に耳を傾け合理的な疑いがないかどうかを検討する謙虚さに欠け、検察ストーリーに安易に乗って有罪と決めつける、現在の裁判所の極めて危うい傾向を露骨に露呈しているのではないかと思います。

とコメントした通りですが、振り返ると、ここまで至るにあたっては、本ブログでも、過去に、2006年の時点まででも既に

共謀罪(「共謀」を含む)に関する過去のエントリー
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20061112#1163310543

と取りまとめたように、共謀に関する様々な問題が積み重なっていて、繰り返し指摘してきた危険性が顕在化したという印象を強く持っています。

暴走する(?)「共謀」概念
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060423#1145799880
暴走する(?)「共謀」概念(続)
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060528#1148783207

で指摘したように、共謀という概念を希薄化し、しかも、状況証拠で認定、と称して、怪しい、疑わしいという程度で認定してしまえるのであれば、極めて容易、安易に共謀が認定されてしまうことになります。実行行為に関与せず、共謀のみにより刑事責任の有無が決まる者にとっては、必死に否定しても、希薄な概念が希薄な証拠で認定されてしまうことで、刑事責任を問われることになり、現在における一種の魔女裁判が出現すると言っても過言ではない、恐ろしいことになりかねません。そして、そういった事態は、暴力団組長や政治家といった特定の人々に生じるだけでなく、一旦、希薄な概念が希薄な証拠で認定されることが常態化すれば、それは、あまねく一般の国民の身の上にも降りかかってくることになります。
状況証拠による認定は、我が国においても、まだまだ確立した理論、考え方が確立しているわけではなく、人による「評価」により左右されるところが大きいだけに、常に誤認の可能性を大きくはらむものです。最近でも、

裁判員判決、死刑求刑に無罪=犯人と被告、同一性希薄―高齢夫婦殺害・鹿児島地裁
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20101210#1291973783
裁判員裁判千葉地裁で初の無罪判決…覚せい剤密輸事件
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20100622#1277189176

のように、検察官による状況証拠による立証に対して、無罪判決を宣告した裁判がありましたし、

大阪・平野区の母子殺害事件:死刑破棄 最高裁判決要旨
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20100430#1272582769

のように、

有罪認定にあたっては、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要だ。直接証拠がない場合は、状況証拠で認められる間接事実中に、被告が犯人でないとしたら合理的に説明できない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要する。本件はこの点を満たさず、十分な審理が尽くされたとは言い難い。

として、原審の有罪判決を破棄して差し戻したケースもあります。
このように、状況証拠による認定については、安易な認定を戒め厳しく臨むという大きな流れが(最高裁も含めて)ある中で、今回の陸山会事件における状況証拠による共謀認定を位置付けた時、かなり異質なものがあり、手放しで礼賛できるようなものとは到底言えず、このような認定を先例として是認することには大きな問題があるというのが、私の偽らざる意見です。取調べの規制がより厳格化されて、従来よりも供述調書の確保が困難になり、共謀等について、検察官立証に、より工夫が必要になるとしても、それは、安易に、希薄な証拠で気軽に事実認定をしても良い、ということにはなりません。犯罪事実は、合理的な疑いを入れる余地がない程度まで厳格に立証されなければならず、そういった基本理念をどこかに置き忘れて、陸山会事件判決に対し、新たな時代の新たな立証が是認された、といったコメントをしている、自称有識者、専門家は、刑事裁判が冤罪を生じさせないためいかに在るべきかについて、考え直すべきでしょう。
特に、問題のあり様が同じではないとはいえ、「状況証拠で認められる間接事実中に、被告が犯人でないとしたら合理的に説明できない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要する。」と、厳しいハードルを設定した上記最高裁判例に照らした時、今回の陸山会事件判決には、判例違反を問題にするという見方もあり得ないわけではないと思います。
ちょっと長くなりましたので、上記の2の問題、すなわち、政治資金規正法違反の成否という問題を大きく超えて様々な事情を「背景事情」と称して問題にすることの危うさ、については、別のエントリーでコメントすることにします。