http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101215ddm041040093000c.html?link_id=RSH01
元検事は事件時、静岡地検浜松支部から応援検事の一人として東京地検特捜部に派遣され、参考人2人に暴行した特別公務員暴行陵虐致傷容疑で逮捕、起訴された。「お前を屋上から落としても、どんなふうにでもなる」。暴言を吐き、壁に向かって立たせ、尻をけり、顔を殴った。
検事正ら複数の上司が処分された。だが、内部の大方の受け止め方は「組織的な問題ではない」。当時の幹部は今も「彼の資質がゆがんでいたとしか思えない」と強調する。
公判で弁護人だった山下幸夫弁護士は逆の見方だ。元検事から「(検事間の)競争があり、上司が望む調書をとらないといけないと思った。厳しい調べがある程度許される雰囲気だった」と聞かされた。山下弁護士は「事件が矮小(わいしょう)化された。(元検事に)プレッシャーを与え、成果を競わせた検察全体の問題だった」と指摘する。
特捜部経験のある中堅幹部は「あの時、暴走の危険性という現実に向き合えば、大阪の証拠改ざん事件は防げたかもしれない」と述べ、続けた。「調書の押し付けも物的証拠をいじるのも、根本は似たようなものだから」
当時は、ゼネコン汚職に立ち向かう正義の検察、という側面が大きく取り上げられていて、この暴行事件は、特異な、問題のある個人の不始末といった捉えられ方になってしまったという印象が強いですね。
私は、この元検事と同期で、当時は、まだ前途に大きな望みを抱く若手検事でしたから、彼が実際にそうであったかどうかはわからなかったものの、実績をあげ認めてもらいたい、認めてもらって特捜部に入りそこで活躍できるような検事になりたい、といった功名心から暴走する危険性といったことが強く感じられた記憶があります。そう感じたこともあってか、私は目立った実績をあげることも、特捜部に定着するような検事になることもなく、寂しく検察庁を去り、しがない弁護士になって細々と現在に至っているわけですが、この事件がなければ、気持ちの上で何の歯止めも効かなくなって、暴走に暴走を重ね、今頃、東京か大阪の拘置所の獄中で公判を待つ身にでも、冗談どころではなく、なっていた可能性もあるような気がします。
目的自体には正当性があっても目的のためには手段を選ばないことが、さらには目的自体の正当性も怪しくなってしまうことが常態化し、それを検察組織が黙認するだけでなく、マスコミも問題点に気付きながら検察庁からネタを取るために見て見ぬふりをしてきた、王様は裸なのに裸だと厳しく指摘、是正されることがないままずるずると月日が過ぎ、取り返しがつかないところまで来て起きたのが大阪地検特捜部の事件であったということを、改めて強く感じます。私の見方、感覚は、記事での山下弁護士のコメントと同様です。
日暮れて道遠し、ですね。