『痴漢』逆転無罪 『決めつけ』捜査批判 3年の訴え実る

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009041502000057.html

痴漢はかつて軽微な犯罪とみなされ、女性が被害を訴えても、起訴されるのは悪質で証拠が確実な事件に限られる傾向があった。しかし、女性が泣き寝入りする原因になっているとの反省などから、近年は被害証言が具体的で信用できれば、客観証拠がなくても起訴されるケースが増加し、一九九八年以降は無罪判決も目立つようになった。

昨日も少し触れましたが、電車内の痴漢に限らず、特に性犯罪の場合、被疑者・被告人が否認、被害者が被害を訴え、目撃者もなく1対1の水かけ論状態になっていることは多く、そうであるにもかかわらず、被害者供述が信用できるとして有罪、場合によっては実刑にすらなっているケースはかなりあります。
最高裁で無罪になった今回のケースでも、被害者供述自体には、それなりに具体的なものがあったようであり、そうであるからこそ、1審、2審では実刑判決という判断になったのでしょう。そういった事件であっても最高裁で無罪になる、無罪とはいえ3対2の僅差であり2名の裁判官は有罪意見で、1名が無罪でなく有罪と判断していれば被告人は実刑判決が確定して服役していた、というところに、こういった証拠構造の事件の怖さを感じます。

追記:

この事件の控訴審判決に関する報道を見ると、

大学教授に2審も実刑 電車内で女子高生痴漢
http://www.47news.jp/CN/200708/CN2007082301000505.html

争点となった女子高生の証言の信用性について、阿部文洋裁判長は「具体的で疑問を差し挟む余地はない」と述べた。

とあって、最高裁で3対2の僅差になるような微妙な事件について、高裁が「疑問を差し挟む余地はない」として、疑問を持ちつつ検討した形跡が見当たらない、ということも、かなり怖いことではないかと思います。事後審査審として機能していない、という見方もでき、高裁の存在意義自体が問われかねないでしょう。