札幌高裁判事:「弁護士増やせば質低下」同窓会HPに投稿

http://mainichi.jp/select/today/news/20090711k0000m040131000c.html

末永総括判事は「弁護士のなかには(権利を意味する)訴訟物という法律用語すら知らない人や、訴訟物の存在を主張する一定の事実を正確に理解していない人もいる」と指摘。民事訴訟の長期化について、「裁判所にも遅延要因がないわけではありません」としながらも、「十分に事実を調査せずに訴状を提出する当事者(代理人弁護士)に多くの原因がある」とした。
さらに、「我が国の裁判制度は、ある意味で、退化しているような気もしています」と懸念を表明。司法改革の一環で司法試験合格者を毎年、3000人程度に増員することについて「(弁護士の)質の低下が危惧(きぐ)されますし、現に私の法廷ではその傾向がはっきりと窺(うかが)われます。法廷で弁護士にいろいろと教示する必要がでてきている」とした。

裁判官や検察官だけやっていて、弁護士をやっていないと、多分、わからないと思いますが、なぜこういう無理な提訴をするのか、こういう無理な弁解をするのか、といった場合、単に、愚かだ、馬鹿だということではなく、その背後に様々な事情が存在する場合も少なくありません。そういった様々な事情を、いかに整理し、訴訟なり刑事弁護なりにうまく乗せて行けるように構成するかが、弁護士の技量であり期待されているところで、それがうまく行くことがあれば行かないこともありますが、上記のような、「十分に事実を調査せずに訴状を提出する当事者(代理人弁護士)に多くの原因がある」というコメントには、そういった事情をどこまで洞察して言っているのか、疑問を感じますね。所詮、法廷で高みの見物をして、出される料理をおいしいとかまずいとか言っている立場では、何年やってもこの程度、ということなのかもしれません。料理の難しさは、やはり、自分で材料を買ってくる、試行錯誤しながら作ってみる、うまく行かなければ何度でも作り直す、という過程の中でしかわからず、技量も身につかないということではないかという印象を改めて受けます。
本ブログでも繰り返し言っていますが、500人であった合格者が3000人になれば、一気に底辺が広がり底辺に近くなればなるほど質が低下するのは目に見えており、司法「改革」(本当に改革かどうかは疑問がありますが)というものは、そういうことが必然的に起きるということを織り込んだはずのものであって、今更、それを愚痴ってみたところで仕方がない、それが問題ならば、制度を抜本的に見直すしかない、ということも言えるでしょう。