http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20081220#1229768572
でコメントしたNHKの番組の後半に放映された座談会についても、録画していたものを一通り見ました。活発な議論が展開されていたことと、何が何だかよくわからないままに終わってしまったことが印象的でした。見ながら、裁判員関与裁判における量刑の在り方ということについて考えてみる必要性を感じました。
年末年始にきっちりと読もうと考えている
- 作者: 原田國男
- 出版社/メーカー: 立花書房
- 発売日: 2008/11/01
- メディア: 単行本
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の中にも、「第11章 裁判員制度の導入と量刑」「第12章 裁判員制度における量刑判断」という章があり、読んでみましたが、今一つ具体的なイメージのつかみ難さを感じました。
私は裁判官の経験がありませんが、検察庁で検事の立場にある中で、求刑を決めたことは数限りなくあり、その際、何を検討していたかと言えば、法定刑の幅の中で、被疑者、被告人に関する諸事情をできるだけ類型化し、類型化した事情に似た事情を含む過去の事例をでできるだけ探し出して、法定刑の幅の中でどのあたりの刑を求めるかを絞りつつ、その被疑者、被告人に特有な事情(有利な事情と不利な事情)も加味して、最終的に求刑を決めていたように思います。こういったプロセスは、裁判官が宣告する刑を決める際も、おそらく似たようなもののはずであり、求刑の段階で検討した事情と、裁判官の量刑にあたり検討される事情に大きな差異がなければ、求刑から若干差し引いた刑が宣告される、ということになりやすいでしょう。
昔、元大阪高裁長官で早稲田大学客員教授を務められた中野次雄先生が書かれたものを読んでいた際、日本の刑法では法定刑の幅が広いが、同じような事情を持つ被告人に対しては同じような刑が宣告されるべきであり、恣意性等は極力排除されるべきである、といったことが論じられていた記憶があります(正確な内容は覚えていませんが、そういった趣旨だったという記憶です)。その意味で、諸事情を類型化して見つつ同種事件の量刑を参考にするという方法論は間違ってはいないでしょう。被疑者、被告人に特有の事情も、ある程度類型化しつつ見ることは可能で、有利に、あるいは不利にどの程度考慮するかということも、客観的に、恣意性を極力排除しつつ考慮することは、従来は可能と考えられていたと思います。
こういった従来の枠組みが、裁判員制度導入後に、どのようになって行くかということが、今後、問題になるでしょう。
上記のようなプロセスを踏んで検討することは、求刑、量刑というものを決めることに習熟してくると、それなりにスキルも身につきできるようになるものですが、そういったスキルは裁判員にはなく、量刑上、他事件の量刑資料が参照できても、かなり迷いに迷うでしょう。迷っている様子は、上記のNHKの番組でも紹介されていました。スキルがないまま、迷うまま、最終的な判断を下すとなると、では何に依拠するのか。これが正に裁判員制度下における量刑の在り方の核心部分ですが、これについての明確な答えは、いまだに出ていないというのが現状でしょう。従来よりも重くなるとか軽くなる、といったことを言っても、それはあくまで傾向、結果であり、量刑の在り方という根本的、本質的問題に対する答えにはなっていません。
私が、
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20081220#1229768572
で、
おそらく、職業裁判官のみによる評議であれば、上記のような殺意の微妙さ(殺意を肯定するにしても否定するにしても)や計画性の有無、程度といった事情が、量刑を検討する上でも慎重に検討されるはずで、その点を重視して死刑を回避するという選択もあり得るように思いましたが、番組中の評議で、そういった点が検討された形跡は、見る限りではなく、結論は死刑でした。裁判員が一生懸命検討していることはよくわかりましたが、死刑という究極の刑罰が選択されるにあたり、議論の中で、事件の中身以外の抽象的な人生観や哲学的な話のウェイトが重すぎるように思われ、率直に言って、本当にこれで人が死刑になって問題ないのか、という印象は拭えませんでした。
と述べたのも、正にこの点に関わる問題としてで、量刑の在り方ということについて問題意識が持たれつつ量刑が検討、決定されなければ、裁判員のフィーリング、印象といった曖昧模糊としたものにより量刑が決まり、そういった中で、死刑選択の可否という、人の生命に関わることも決められてしまうという、考えれば恐ろしいことが日本全国で頻発する可能性が高いでしょう。
従来の法定刑に大きな幅があるという法体系を温存させたまま、裁判員に量刑まで検討させるという制度には、常識的に考えてもかなり無理があり、特に死刑か無期かが激しく争われるような事件では、その問題が極めて深刻な形で顕在化するというケースも、今後、確実に出てくるでしょう。