元名物検事長、後進に託す「捜査いろは唄」 心得47首

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080826-00000111-san-soci

奥村先生からコメント欄で紹介があった記事です。ありがとうございます。

いろは唄を作ったのは、初めて決裁官となった広島地検刑事部長時代の昭和62年。解明すべき要点が抜け落ちた部下の捜査に危機感を覚え、実践的な方法論を伝える必要性を痛感したのがきっかけだったという。
「いろは唄は合理的で効率的な戦い方をまとめた『戦闘教義』。これを応用しながら捜査に臨めば、公判で下手を打つことはない」

私が広島で実務修習していたのは、昭和62年7月から翌昭和63年11月までで、その間、広島地検でも修習しましたが、その際、大塚先生からも指導を受けたことがあり、講義で、上記の「いろは唄」が披露されたこともありました。確か、当時はまだ全部できていなかった記憶で、「これからも作って行く」というお話だったように記憶しています。
今でも覚えているのは、無銭飲食の常習犯の被疑者がいて、態度も非常に悪く反省の態度も見られないため、被害弁償は家族がお金を出して済ませていたものの、修習生だった私が、指導担当の検事とも相談した上、大塚刑事部長に、起訴したいと相談に行ったところ、小さな事件でしたが、親身になって話を聞いていただいたということもありました。
あれから既に20年が経過し、時の流れというものも感じます。