江副浩正氏死去=リクルート創業者―未公開株事件で有罪確定

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130209-00000032-jij-soci

88年に会長に就任するが、同年6月にグループ企業リクルートコスモスの未公開株が川崎市助役に渡っていたことが発覚。戦後日本でロッキード事件と並ぶ疑獄事件とされるリクルート事件が始まる。故竹下登元首相など政官財界に幅広く未公開株を配っていたことが判明し、東京地検特捜部が労働省、文部省、政界、NTTの4ルートで捜査を開始。収賄側8人と贈賄側4人の計12人を起訴し、全員の有罪が確定した。

1988年は、私が広島での実務修習から東京の司法研修所へ戻り後期修習に入った年で、昭和天皇の御病状が重篤となり、世の中が自粛ムードに包まれる中、リクルート事件の捜査が着々と進行していたことが思い出されます。平成元年になり、私はその年の4月に検事に任官し東京地検に配属となり、夏前くらいに、東京地検検事正が、リクルート事件の「捜査終結宣言」を出して、捜査には幕が引かれました。
リクルート事件の中身について、証拠を見ていない私はコメントすることが困難ですが、当時は、バブル経済が高揚し、従来は質素に堅実に、をモットーにして暮らしてきた人々が、高騰する株や不動産などに目を向けるようになり、一儲けしたい、豊かになりたい、といったムードが世の中にまん延していった、そういう時代だったように思います。その中で、江副氏が公開前のリクルートコスモス株を政財界等の人々に有利な条件で譲渡したことに、世の中の妬み、嫉みといったこともかなり大きく作用して、職務権限や便宜供与といった点ではなかなか難しい問題があったようではありましたが、世論の後押しを受け東京地検特捜部が立件に動いた、という側面があったように思います。江副氏といえば、堀江氏らが出現するはるか前に出現した「ベンチャーの旗手」でしたが、そうした、旧来の既成秩序の枠外にあって活躍する、しようとする人物、会社に対して、旧来の既成秩序が潰しにかかる構図、というものも、既にこの時から芽生えていたということも指摘できそうです。
とは言え、誰もが欲しがる有利な未公開株をばらまくようなことをすれば、それが問題化することは予想すべきで、当時の時代背景があったとはいっても、江副氏の不用意さ、脇の甘さは明らかで、自ら墓穴を掘ってしまったということは言え、それについては江副氏自身にも、長く後悔の念があったものと推察されます。
江副氏の優秀さ、その能力が社会のためにもっと生かされるべきであったことは、衆目の認めるところではないかと思いますが、平成に入ってからは、裁判闘争に明け暮れ、リクルート株も売却して、その能力が大きく生かされることがなかったのが(江副氏なりの社会貢献はしていたとはいえ)残念です。歴史に、もし、はないとはいえ、リクルート事件がなければ、と、この訃報に接してしみじみと感じている人は多いでしょう。1つの時代が終わった、という感慨を持ちつつ、御冥福をお祈りします。