「法科大学院の理念にもとる」=新司法試験の答案練習で中教審

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007121800990

中央教育審議会法科大学院特別委員会は18日、「受験技術に焦点を合わせた論述訓練は、あるべき教育理念から離反している」として、自粛を求める報告書をまとめた。

「技術」に偏するのは、確かに問題ですが、合格に照準を合わせて勉強する中で、答案練習はやっておくべきでしょう。「あるべき教育理念」をどこに求めているのかよくわかりませんが、実務家を養成、登用するための教育の中で、答案練習、論述訓練ということの持つ重要性が、わかっていないのではないか、という印象を受けます。
私自身は、日本における平均的な弁護士にしか過ぎませんが、「書く」ということについては、これだけ毎日毎日ブログを書き続けている上(ニュース等を見ながら、推敲や書き直しなどはほとんどせずに一気に書く、というのが通常で、時間はかけません)、各種起案にしても、頼まれた原稿にしても、中身はともかく、書くのは結構早いほうだと思います。
そのような能力(というほどのものではありませんが)がどこで培われたか、を振り返ると、まず大きいのは、司法試験の受験勉強の際に、答案練習会へ行って数多くの答案を書き、添削を受けた上で、自分でも徹底的に復習した、そのプロセスが基礎作りに大いに役立っていることは間違いないと思っています。
その上で、検事任官後に、供述調書を、被疑者の面前で口授して作成する、という作業を来る日も来る日も繰り返していたことや、検察庁内部で報告文書等を作成し、上司の指導を繰り返し受けたことや、自分自身、読書が好きで(お金がなく他のお金がかかる趣味が持てなかった、という面もありますが)、読書を通じて自ずと語彙が増えていった、ということも、影響しているものと思いますが、基礎は、司法試験受験当時の上記のような修練にあることは間違いありません。
学者の書いた本で、何が言いたいのかよくわからない、何かを研究する前に日本語の訓練をどこかで受けたほうが良いのではないか、というものが時々ありますが、学者はそれで通用しても、法律実務家としては致命的で、そうならないためにも、適切な答案練習を地道に積み重ねる、ということは、避けて通れないし、それをやらないと良い法律実務家にはなれないでしょう。
日本における実務法曹養成に、真に責任を持って臨むのは誰か、ということをきちんと決めておかないと、波打ち際でボートに乗って遊んでいる間に、気がついたらはるか沖合いに流され戻れなくなってしまっているように、法学部、法科大学院司法研修所が、能力的に問題がある法曹を次々と送り出す、魔のトライアングルのような状態になりかねず、そこに、上記の中教審のような、実務法曹養成に経験も見識もなく、責任もとれない人々が介入すれば、事態がますます悪化し、結局、迷惑するのは国民、ということになりかねないと思います。