「東京地裁公判前整理手続適用第1号事件を体験して」(竹村眞史)

http://seihokyo.jp/421.pdf

竹村弁護士ご自身が、「本件は特殊事情もあり、一般化できない面もあるという前提で」と述べられているように、安易に一般化はできないと思いますが、この種の手続や裁判員制度に対する、安易な礼賛論に対しては、十分警鐘を鳴らす実態と言えるでしょう。
そもそも、日本の刑事司法は、「精密司法」と言われるように、微に入り細にわたって捜査を尽くして証拠を収集し、そのような捜査の結果を、職業裁判官が、これまた微に入り細にわたって検討する、という前提で組み立てられています。そこに、こういった、迅速そのものの手続が導入されれば、刑事専門で特定の事件にかかりきりになれるような、およそ日本ではあり得ない特殊な弁護士でもないと、とても、おつきあいはできない、ということになるのは必定です。
上記の事件の場合、裁判員は関与していませんが、ここに裁判員が関与することになれば、目の前を、ものすごいボリュームの証拠が次々と通り過ぎて行くような状態になり(新幹線のホームで、目の前を停車しない新幹線が猛スピードで通り過ぎて行く、というのが、イメージとしてはぴったりだと思います)、何が何だかわからないまま、裁判官との評議に入る、ということが、日本全国各地で続出しかねないでしょう。そういった状態の中で有罪になったり、無罪になったりした事件を、高裁が舌打ちしながら是正する、ということになりそうです。

追記:

ボツネタ経由で

http://humitsuki.exblog.jp/4452855/

を知りました。
読んで、なるほど、と思いましたが、その中で、

結局,専門家である裁判官が適宜議論をリードして論点を整理し,効率の良い評議を実現して行くしかないように思われる。そして,論点が分かりやすく提示されていさえすれば,それなりに常識に基づいた落ち着くべきところに落ち着く評議となるものと筆者は期待している。

とあるのは、「リード」、「整理」によっては、完全に裁判官主導、裁判員は「お飾り」になり、「落ち着くべきところ」は、「裁判官が落ち着くべきであると考えるところ」になるという、裁判員制度の形骸化につながりかねない危険性を示している(このブログの筆者にその意図がある、というわけではなく)と感じました。正に、そこが最高裁、法務・検察の「裏の目的」ということかもしれません。
単なる、しがない弁護士の勘ぐりですよ。>最高裁、法務・検察