http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050310-00000003-yom-soci
高裁決定はまず、1審決定のうち「日本がポツダム宣言を受諾し、天皇が終戦の詔書を発したことで、治安維持法は効力を失い、元被告らに免訴を言い渡す理由があった」とした部分に関し、「刑の廃止を再審理由にした点などについて、疑問がある」と退けた。
その一方で、横浜事件の別の元被告に拷問を加えたとされた当時の神奈川県警の警察官3人の有罪判決が確定している点に注目。今回の請求審の元被告の警察官に対する自白について、「日本共産党などの結社の目的を遂行する意思をもって活動したという点には、信用性のない疑いが顕著」と指摘した。
その上で、警察官に対する有罪判決などが、横浜事件の元被告らに無罪を言い渡すべき「明確な新証拠である」と判断。「(元被告らに対する)確定判決は自白が証拠のすべてであり、有罪の事実認定が揺らいだ」として、再審開始を認めた。
03年4月の1審決定は、ポツダム宣言受諾が国内法秩序に与えた影響に関する憲法学者の鑑定意見書を「新証拠」と認定。「45年8月14日の同宣言受諾で、これと抵触する治安維持法は実質的に効力を失った」として、免訴を言い渡すべき理由があると結論付けた。これに対し検察側は、「ポツダム宣言は国内法を廃止させる効果を直接生じない。治安維持法は45年10月に廃止されるまで有効だった」として、即時抗告していた。
昔、憲法で「八月革命説」というのがあったな、と思い出し、芦部先生の「憲法制定権力」を久々に取り出して、少し読んでみました。「はしがき」の、「正義に反する法律に不法だという烙印を押す勇気をもたなくてはならない」という一節に、線を引いた跡があり、大学生の時に新鮮な感覚で憲法を勉強していたことが懐かしく思い出されました。
八月革命説は、1945年8月のポツダム宣言受諾により、一種の「革命」が起こり、天皇主権主義から国民主権主義への転換があった、として、現行憲法の正当性を根拠づける考え方ですが、「八月革命」により、直ちに国内法が影響を受けたか、という点については、上記の本の中の芦部先生の見解のように、
ポツダム宣言が国民主権の要求を含むものだとしても、その受諾は国際法上の義務を負ったにとどまり、それが同時に国内法上も根本的変革を生じたとみることは困難である、というような宣言の解釈が妥当か否かは、私にはきわめて疑問に思える。(343頁)
と、国内法への直接的影響を肯定する考え方と、否定する考え方(上記の本では、上記の「困難である」という論者として、佐藤幸治教授が紹介されています)があるようです。
私は研究者ではないので、理論面での妥当性は何とも言えませんが、一実務家の感覚としては、ポツダム宣言受諾により、その内容に反する国内法は、その限度で無効になった、という考え方に強い魅力を感じます。あの悪名高い治安維持法が、1945年10月まで有効だったという主張に、説得力や共感を感じる人は皆無でしょう。
ただ、今回の高裁決定は、そういった憲法論争には深く立ち入らず、自白の信用性という、個々の証拠の評価の上での結論として再審開始決定を支持しているようで、関係者としてはやや物足りないかもしれませんが、「手堅い」判断という気がします。